株式会社タイチ 代表取締役
徳弘 多一郎
Taichiro Tokuhiro現在の仕事についた経緯
もともとは建築科の高校へ行っていて、大学も建築の方に進みました。父がやっていたこの仕事を継いだきっかけは、一回生の夏休みのことです。実家に帰ったら、ふすまの向こうの部屋で両親が「うちは男の子が2人もいるのに、誰も後を継がないなんて寂しいね」って話をしていたんです。それで大阪にいた兄に「二人がこんな話をしていたから兄貴、家に帰ったら?」と持ち掛けたんです。でも兄からは「俺は帰らない。お前が帰れ」と言われてしまって。僕は建築に特別興味があったわけではなかったですし、じゃあ手伝うよってことで家に帰りました。しかしずっと手伝いのような感じで、本格的に事業継承をするって雰囲気ではなかったんです。ところが僕の長男が高校を卒業する頃に、この仕事をしたいと言い始めまして。これはまずいと兄に相談したら、やはり兄は継ぐ気がない。それならということで、僕が本格的に後を継ぐことに決めました。
仕事へのこだわりと今後の目標
こだわりとしては主に3つあります。
一つめはナンバーワンじゃないと意味がないということ。
もともと父が作っていた鯛って抜群に評判が良かったんです。出荷が始まるといろんな業者が集まってきて「値段を上増しするからこっちに全部売ってくれ」「何言ってるんだこっちはもっと出すよ」みたいな言い合いがしょっちゅうありました。その時の印象がものすごく強いので「誰にも負けない鯛をつくりたい」っていう思いは自分の中に刷り込まれています。それが最も大きなこだわりです。
二つめは技術を使うことです。世が世ですから、ただ良い鯛を作るだけではなく、誰にも真似できない技術でナンバーワンを作りたいと思っています。
三つめは石油由来のものをなるべく使わない養殖をすること。これは、両親が食品添加物や農薬をなるべく体に取り入れない生活をしていたことに影響を受けていると思います。
今後の目標としては、まず会社の目標で言うと、業界のトップリーダー、しいては鯛のトップリーダーであり続けたいですね。うちで養殖した鯛は「鯛一郎クン」という名前で呼ばれています。技術の顧問が付けてくれた名前で、もともとは「鯛一郎」だったんですが、それだと僕の名前が呼び捨てされているような気持ちになるので「クン」を加えさせてもらいました。今はこの鯛一郎クンをバージョンアップしている最中です。完成したら今度は英語表記の“TAICHHIRO”にして、広く皆さんに楽しんでもらいたいと思いますね。
個人の目標としては、人生の最後を社会貢献で終えたいなと思っています。ただ社会貢献もいろんな形があるので、定年までは僕なりの社会貢献を探しつつ、コツコツやっていくつもりです。
一つめはナンバーワンじゃないと意味がないということ。
もともと父が作っていた鯛って抜群に評判が良かったんです。出荷が始まるといろんな業者が集まってきて「値段を上増しするからこっちに全部売ってくれ」「何言ってるんだこっちはもっと出すよ」みたいな言い合いがしょっちゅうありました。その時の印象がものすごく強いので「誰にも負けない鯛をつくりたい」っていう思いは自分の中に刷り込まれています。それが最も大きなこだわりです。
二つめは技術を使うことです。世が世ですから、ただ良い鯛を作るだけではなく、誰にも真似できない技術でナンバーワンを作りたいと思っています。
三つめは石油由来のものをなるべく使わない養殖をすること。これは、両親が食品添加物や農薬をなるべく体に取り入れない生活をしていたことに影響を受けていると思います。
今後の目標としては、まず会社の目標で言うと、業界のトップリーダー、しいては鯛のトップリーダーであり続けたいですね。うちで養殖した鯛は「鯛一郎クン」という名前で呼ばれています。技術の顧問が付けてくれた名前で、もともとは「鯛一郎」だったんですが、それだと僕の名前が呼び捨てされているような気持ちになるので「クン」を加えさせてもらいました。今はこの鯛一郎クンをバージョンアップしている最中です。完成したら今度は英語表記の“TAICHHIRO”にして、広く皆さんに楽しんでもらいたいと思いますね。
個人の目標としては、人生の最後を社会貢献で終えたいなと思っています。ただ社会貢献もいろんな形があるので、定年までは僕なりの社会貢献を探しつつ、コツコツやっていくつもりです。
若者へのメッセージ
ぜひ置かれたところで自分の花を咲かすことを考えてほしいですね。
「僕にこの仕事は合わない」とか「僕の考え方とは違う」とか、もちろんそういう気持ちはあってもいいんですが、全員が全員ピッタリ合う環境なんてそうそうないものです。
だから出会った人や職場を大切にして、その中でスキルを磨いたり、人との付き合いを覚えたり、そういう花を咲かせるための努力をしてみたらどうかなと思いますね。
僕は18歳から64歳になる今まで、魚の養殖という仕事しか経験していません。もちろん他の業界が良く見えた時期もあります。しかし親が残してくれたこの仕事を次の世代にバトンタッチしたいですし、自分の足跡も残したい。漁師がいるなら養殖師がいたっていいじゃないですか。僕はそれくらい養殖道を究めるつもりで取り組んでいます。どんな場所でも根を張って、力を発揮すれば自ずと未来は開けてくると思っています。
「僕にこの仕事は合わない」とか「僕の考え方とは違う」とか、もちろんそういう気持ちはあってもいいんですが、全員が全員ピッタリ合う環境なんてそうそうないものです。
だから出会った人や職場を大切にして、その中でスキルを磨いたり、人との付き合いを覚えたり、そういう花を咲かせるための努力をしてみたらどうかなと思いますね。
僕は18歳から64歳になる今まで、魚の養殖という仕事しか経験していません。もちろん他の業界が良く見えた時期もあります。しかし親が残してくれたこの仕事を次の世代にバトンタッチしたいですし、自分の足跡も残したい。漁師がいるなら養殖師がいたっていいじゃないですか。僕はそれくらい養殖道を究めるつもりで取り組んでいます。どんな場所でも根を張って、力を発揮すれば自ずと未来は開けてくると思っています。