株式会社ツカダプランニング 代表取締役社長
束田伸彦
Nobuhiko Tsukada略歴
東京教育大学付属高等学校卒業、青山学院大学経済学部中退。
建築設計事務所2年、不動産会社1年勤務後、束田建設株式会社専務取締役。
多数のアルバイトコーチを経験。その後、1980年束田テニス企画を設立、1990年株式会社ツカダプランニング設立、現在に至る。
建築設計事務所2年、不動産会社1年勤務後、束田建設株式会社専務取締役。
多数のアルバイトコーチを経験。その後、1980年束田テニス企画を設立、1990年株式会社ツカダプランニング設立、現在に至る。
現在の仕事についた経緯
この仕事についた経緯として、下記の4点が挙げられます。
1.長男として父親経営の建築会社の跡を取ることよりも、テニスの魅力を捨てきれなかった。
2.多数のテニススクール・テニスクラブを経験し、テニスコーチの社会的地位の低さを変えたかった。
3.他のコーチ・他のスクール運営会社ではできない会社を作りたかった。
4.スポーツ業界の体育会的な悪習慣を基本とした構造ではない組織を作りたかった。
1.長男として父親経営の建築会社の跡を取ることよりも、テニスの魅力を捨てきれなかった。
2.多数のテニススクール・テニスクラブを経験し、テニスコーチの社会的地位の低さを変えたかった。
3.他のコーチ・他のスクール運営会社ではできない会社を作りたかった。
4.スポーツ業界の体育会的な悪習慣を基本とした構造ではない組織を作りたかった。
仕事へのこだわり
中学高校とソフトテニスの経験はあったものの、人よりだいぶ遅い20歳から始めたテニス。始めて間もなく試合にも出場し、とにかく勝ちたくて、ジュニア経験のある相手や全日本ランキングの相手にもどうやったら勝てるかを考え工夫してきました。レッスン(仕事)でも、ヘッドコーチや有名コーチのレッスンに追いつき追い越せという気持ちが人一倍強かったように思います。
例えばレッスンで10人のクラスを担当したとき、声を上げるお客様を中心とするレッスンはどのコーチにもできます。それに対し、声を上げないお客様にも「喜び」を感じてもらうことを常に考えるレッスンを行ってきました。
埼玉県や東京都のカリスマコーチの存在から、どうやったら自分がそうなれるかを「考え抜く」ことで、オリジナルレッスンを作り上げました。特に女子連 (日本女子テニス連盟)クラスでは、C・D級の所属6名を全員B級、更には全国大会レベルのA級とする結果も出してきました。また来場のお客様への不満足な対応を巡って施設のオーナーやフロントの方とぶつかることもありました。
そしてこのようなコーチ経験を生かし、他社とは異なる会社組織化を目指しました。小人数のスタッフからではありましたが、レッスンへのこだわりを伝え、当初はレッスン内容(メニュー)を共通で行っていました。しかしその結果一人ひとりが自分で考えなくなる弊害を感じたため共通メニューを撤廃し、各自が「考え抜く」レッスンへと移行していきました。
弊社は中・小規模事業所(会場)の集合体であるため、各会場責任者が必要となります。それによって各店長が考え抜き独自性を打ち出せる構造となっており、弊社の社是 「心をこめて日本一を目指す」へとつながっていきます。
例えばレッスンで10人のクラスを担当したとき、声を上げるお客様を中心とするレッスンはどのコーチにもできます。それに対し、声を上げないお客様にも「喜び」を感じてもらうことを常に考えるレッスンを行ってきました。
埼玉県や東京都のカリスマコーチの存在から、どうやったら自分がそうなれるかを「考え抜く」ことで、オリジナルレッスンを作り上げました。特に女子連 (日本女子テニス連盟)クラスでは、C・D級の所属6名を全員B級、更には全国大会レベルのA級とする結果も出してきました。また来場のお客様への不満足な対応を巡って施設のオーナーやフロントの方とぶつかることもありました。
そしてこのようなコーチ経験を生かし、他社とは異なる会社組織化を目指しました。小人数のスタッフからではありましたが、レッスンへのこだわりを伝え、当初はレッスン内容(メニュー)を共通で行っていました。しかしその結果一人ひとりが自分で考えなくなる弊害を感じたため共通メニューを撤廃し、各自が「考え抜く」レッスンへと移行していきました。
弊社は中・小規模事業所(会場)の集合体であるため、各会場責任者が必要となります。それによって各店長が考え抜き独自性を打ち出せる構造となっており、弊社の社是 「心をこめて日本一を目指す」へとつながっていきます。
若者へのメッセージ
ありきたりではありますが、平和で満たされた時代に生まれた若い皆さまには、その幸せを十分に味わってほしいと感じます。しかし物事には必ず正反対の2つの視点(実際は多数の視点、ダイバーシティ)があり、幸せを十分に感じてほしい気持ちの裏側には、飢餓感も感じてほしいと願っています。
昭和生まれの私は、食べることにも、自分のために時間を使うことにも、とても飢えています。そして今、食べることにも、社長として自分の時間をコントロールできる立場になっても、「もっと欲しい」、「自分の時間が足りない」ように感じています。
「より高い目標」を真剣に渇望し、結果壁にぶつかって自分自身で解決する方法を「考え抜いて」ほしいものです。その結果、おそらく全ての人や物事に対する「覚悟」が生まれ、より高い満足感のある人生となるのではないかと思います。
昭和生まれの私は、食べることにも、自分のために時間を使うことにも、とても飢えています。そして今、食べることにも、社長として自分の時間をコントロールできる立場になっても、「もっと欲しい」、「自分の時間が足りない」ように感じています。
「より高い目標」を真剣に渇望し、結果壁にぶつかって自分自身で解決する方法を「考え抜いて」ほしいものです。その結果、おそらく全ての人や物事に対する「覚悟」が生まれ、より高い満足感のある人生となるのではないかと思います。