東新プラスチック株式会社 代表取締役

髙橋 誠

Makoto Takahashi

お客様第一

髙橋 誠

現在の仕事についた経緯

弊社は東新興業株式会社のプラスチック事業部として父が1961年に開設し、1963年に姉妹会社として独立しました。
創業時から、当時はまだ珍しかったプラスチックの射出成形を行ってきました。
私は1965年生まれですので、この会社と共に大きくなってきたようなものです。
父親から事業継承について何か言われたことはなく、工学系の大学を卒業した後は、電子デバイスの輸入商社に入社しました。ただ私は機械設計・機械科の出身だったので、電子には不向きだったようです。
一生懸命勉強はしましたが、2年ほど頑張ったところでこれは辞めたほうがいいなと思いました。
それでせっかく父の会社があるので、どうか実力を試させてほしいと頼み、入社する運びになったのです。

仕事へのこだわりと目標

常に変化に合わせて対応してきたこと、それはこだわりとして挙げられるかもしれません。
私が入社した当時はバブルの絶頂期で、何もしなくても月の売り上げが1億近くに達するほど仕事がたくさんありました。しかし2~3年もすると、お客様の海外進出が加速し、国外でどんどん工場が新設される時代が到来。今度はこちらの仕事が減っていく事態となりました。
当時、私は経営のことはよくわかりませんでしたが、弊社の旧態依然とした環境や、従来の仕事のままではまずいというのは肌で感じました。
それでルール作りをしたり、品質管理をきちんと行ったり、会社としての組織化をできることから積み重ねてきました。創業時から在籍している社員からすればさぞ面白くなかったことと思いますが、そんなことを気にしている場合ではなかったですね。
このような激動の時代を生きてきたからこそ、1つ1つ仕事を積み重ねていくことの大切さというのは身に染みています。
またそうやって丁寧に仕事をしてきたからこそ、お客様の信頼も得られているのかなと思います。

目標としては、今後もお客様と共に、進歩を続けていける会社でありたいと考えています。
2013年には創業時から続けていた工場を辞め、新しい土地に工場を新設しました。それも、旧施設のままではお客様にご満足頂ける仕事ができないという判断から決意したことです。
長く会社を続けているとお客様が入れ替わりますし、お客様の会社形態や方針自体もどんどんと変わっていきます。我々として最も避けたいのは、その歩みに後れを取ることです。
幸い、工場を新設し、設備を整えたことで社員達のモチベーションも向上したと感じています。
これを機に、今までお付き合いのなかった分野のお客様とも関わり、もう一段大きな会社になれたらと思っています。

若者へのメッセージ

弊社でも若い社員が何人かいるのですが、全体的な印象として、自分のゴールを妥当なところで設定してしまっている人が多いかなと感じています。
頑張っていてもある程度の地点に達すると満足してしまうのですね。それは私からすると非常にもったいないなと思います。
「殻を破る」というのは若いうちだからこそできることでもあるので、ぜひそこは決めつけないでがむしゃらにやってみてほしいですね。
もう1つ若い方にお伝えしたいのは、聞くことは決して恥ではないということです。
たとえ学生時代に一生懸命勉強をして、優秀な成績を修めている人でも、社会に出れば初めて知ることはたくさんあります。
ですから決して知らないことを恥と捉えず、どんどん吸収をして、向上心を持って進んでもらいたいと思います。