医療法人DIC宇都宮セントラルクリニック 院長

佐藤俊彦

Toshihiko Sato

5年先を見る

佐藤俊彦

現在の仕事についた経緯

進学高校の数学教師だった父に「大学に行くなら東大に行くか医学部に行け」と言われ、「東大に行って役人になるのは私には難しいかな」と考え、「医者なら何かつぶしもきくし、良さそうだな」と思い医者になりました。今の時代ならきっと父は「コンピュータ関連か量子物理学に行け」と言っていると思いますね。
大学を卒業すると2年間は研修医となり、その後、自分の専門科を決めて、専門医を受けるまでにだいたい3年~5年かかります。私は放射線科より免疫学をやりたかったので、膠原病アレルギー内科へ行きたい気持ちがありました。しかし、放射線科医ならば、患者を目の前にしてすぐにCTで針を刺したり、気管支鏡で細胞を取ったりして、その場で白黒つける事ができるわけです。まずは診断をきちんとできる医者になろうと思い、放射線科に入ったのですが、いざ放射線科に入ったら、ジェネラルに脳も体幹も小児も骨関節もトータルに勉強ができる大学が1つも無かったのです。そのため、福島でがんの勉強をして日本医大に移り、IVRという血管造影や神経関係などの仕事をして、そこから獨協医大に移り、骨関節や小児放射線を学びました。
30歳の時に私にがんが見つかり、子どもも幼かったので、これからのお金を残さなくてはいけないと考えました。アメリカへ行き、グループプラクティスという医療モデルを知り、この仕組みが日本にあれば、みんな稼げるようになると思い起業しました。

仕事へのこだわりと目標

基本的には、5年先を見て仕事をしようと思っています。世の中がどのように変わっていくのかを予想してプランを立てたらそれを本にしています。その本を職員、一般の方、あるいは同業者にも見ていただき、私がやりたい事を宣言します。それで講演会活動を行い、集客をするという事を1995年からずっと繰り返しています。
何か事業をやる時には必ず本を書いているので、本はだいぶ増えました。

2025年くらいから人は死なない時代になってきます。2045 Avatar Project Milestonesというのがあって2045年ぐらいには私たちはホログラフィックアバターになります。2025年のレベルだと、死ぬ時の頭のデータをコンピュータへバックアップを取っておいて、サイバースペースのアバターやリアルな空間のアバターに入れることができるようになります。
人間の肉体というのは、還暦を過ぎて、もう一巡して120歳まで生きるというのがこれまでの常識でしたが、その間に戦争、病気、疫病みたいなもので死んでいきます。理論的には60歳で還暦を迎えて、120歳までにはもう一周あるわけです。しかし、その肉体というのは寿命があるわけで、量子生命体の心と身体の分離です。
そうしたら私たちは、今の3次元4次元の空間だけではなく、5次元6次元の空間で永遠に生きていけるような生活スタイルになってきます。その時にどういう医療が必要なのか。それがこれからのテーマだと思っています。

若者へのメッセージ

コロナ前までは、グローバリズムと金融資本主義と、多言語能力が大事だったと思います。しかし、コロナになったことで、恐らくグローバリズムは無くなります。なので、自分たちの周りで完結するようなビジネスが主流となるでしょう。それから電子決済も増加してきたので、金融資本主義も無くなると思います。
今、工場に行くと、全部ロボットに変わっていて人がほとんどいません。これからはロボットを動かすための技術者、あるいは量子コンピュータを作る技術者が必要とされることでしょう。
今勉強している若い方たちは、自分が動くのではなく、ロボットを作る側に回った方がいいと思います。