西ノ宮互厚産業株式会社 代表取締役
緒方雅広
Masahiro Ogata
略歴
私立高校卒業後、日新製鋼子会社に就職。鉄の成形業に従事。
その後、縁あって、現在の会社に就職。
就社の同業者の会社に勉強に行かせてもらい、多様な機械を経験し、現在に至る。
その後、縁あって、現在の会社に就職。
就社の同業者の会社に勉強に行かせてもらい、多様な機械を経験し、現在に至る。
現在の仕事についた経緯
前職の退社を考えていた時に、前社長(現在会長)に声をかけていただき、入社いたしました。当時19歳でした。他の従業員は高齢の職人さんで、入社してもいいものかと熟慮いたしましたが、若手が自分しかいなかったため、色々変えることができると思い入社しました。
仕事へのこだわり
新人当時、弊社にはマニュアルというものが存在せず、先輩職人に教えてもらう事といったら、機械のスイッチ関係や、仕事上必要な物の置いてある場所くらいでした。あとは、「見て覚えろ」というものでした。
したがって、すべての品目の機械設定をノートに書き、職人の行動パターンを観察して覚えていきました。時には、外国人の先輩の「これいい!これダメ」の言葉のみで覚えていきました。自分自身、業務を覚えるのに必死で日々きつかったのを今でも覚えています。
そのことがきっかけで、マニュアルを作成して、誰でも機械設定ができるように仕組みを作りましたが、マニュアル重視で感覚的なことを覚えてくれない人材が出てきてしまいました。
この経験から、「確実に職人を育てるにはどうしたらいいか」と考えるようになり、それが今の活動のきっかけになっております。
今の私の根源は、先輩職人に教わった一言でした。
それは「できないと言わない」でした。
当時は「無理してでもやる事かな?」と思っていましたが、次第に教える立場になり、色々な後輩、お客様と接することによって、私なりの結論が出ました。それは、少々ありきたりではありますが「どうやったらできるかのみを考える」ということでした。
現在もそれが私の根底にあり、YouTubeなどで発信し、自社だけではなく「職人を育てる」というこだわりを持って仕事をしております。
したがって、すべての品目の機械設定をノートに書き、職人の行動パターンを観察して覚えていきました。時には、外国人の先輩の「これいい!これダメ」の言葉のみで覚えていきました。自分自身、業務を覚えるのに必死で日々きつかったのを今でも覚えています。
そのことがきっかけで、マニュアルを作成して、誰でも機械設定ができるように仕組みを作りましたが、マニュアル重視で感覚的なことを覚えてくれない人材が出てきてしまいました。
この経験から、「確実に職人を育てるにはどうしたらいいか」と考えるようになり、それが今の活動のきっかけになっております。
今の私の根源は、先輩職人に教わった一言でした。
それは「できないと言わない」でした。
当時は「無理してでもやる事かな?」と思っていましたが、次第に教える立場になり、色々な後輩、お客様と接することによって、私なりの結論が出ました。それは、少々ありきたりではありますが「どうやったらできるかのみを考える」ということでした。
現在もそれが私の根底にあり、YouTubeなどで発信し、自社だけではなく「職人を育てる」というこだわりを持って仕事をしております。
若者へのメッセージ
このインターネットの時代に、我々では想像もつかないような発想をもっと発言し、旧時代からの技術力をうまく取り入れて変化させることができるような発想力を持っていただきたいです。
この時代を作るのは、若者です。
どんどん先輩たちに負けじと発言し、日本の工業を引っ張っていただきたいです。
この時代を作るのは、若者です。
どんどん先輩たちに負けじと発言し、日本の工業を引っ張っていただきたいです。