株式会社オヤノミカタ 代表取締役/まちのきょういく委員会 共同代表

松井知敬

Tomohiro Matsui

ドキドキワクワクの人生を送る

松井知敬

略歴

大学時代、世界を変えられるwebの可能性に魅せられ、web制作を始める。フリーランス、会社員、主夫を経て、2014年、36歳で株式会社オヤノミカタ設立。2018年、「人と会社のリデザインチーム」を発足し、全体が個に対し強制力を持たない自律分散型の組織づくりを提唱。2018年、well-beingの研究機関「RIC総合研究所」に参画。2019年、夢を堂々と追いかける選択肢をこどもたちに提示すべく「まちのきょういく委員会」参画。出張バーテン、古着コーディネーターとしての活動も。灘中、灘高、京大卒。滋賀県在住。3児の父。

現在の仕事についた経緯

「こうあるべき」という枠に縛られるのが大嫌い。自分の性格を一言で表すと、そんな感じです。
裏を返せば、人一倍、枠にとらわれやすいということでもあります。そもそも自由奔放であれば、枠なんて気になりません。振り返れば、枠からどうやって抜け出すか、試行錯誤してきた人生です。自分を枠から解放し続けた結果、ここにいます。就職先に選んだのは、社員の意思を尊重してくれる会社でしたし、フリーランスや経営という選択は、「就職が当たり前」という枠の突破に他ならないと思います。
そうやって、だいぶ枠の外まで来た感はありますが、自分の世界を広げれば広げるほど、この世界は広大だと気づきます。これからも、人と出会い、世界を知り、自分の中にある枠を超えていきたいです。

仕事へのこだわり

わたしにとって、仕事と仕事以外の境界線は、はっきりしません。もともと、「仕事=食っていく手段」というよりも、「仕事=夢を実現する手段」という感覚のほうが大きいです。そのため、自分が叶えたいことの中から、周りに評価されお金になるものを仕事として選んできたように思います。
つまり、「仕事=楽しみ」です。育児サポートの「オヤノミカタ」、学びの探求集団「まちのきょういく委員会」、well-beingの研究機関「RIC総合研究所」、出張バーテン、古着コーディネーター・・歳を重ねるに連れ、自分の欲求を解放していった結果、趣味なのか仕事なのか、どんどん分類できなくなってきています。

若者へのメッセージ

小学生の頃、夢は自由です。宇宙飛行士でも、プロ野球選手でも、ミュージシャンでも、絵描きでも、総理大臣でも、何でも言えます。でも、中学、高校と進むに連れ、「そんな夢みたいなこと言って」と否定されるようになり、いつしか「実現できそう」という条件がデフォルトになります。わたしは、それが嫌で嫌でしょうがなかったのですが、夢を追いかける怖さも人並みにあり、大人の呪縛を跳ねのけてまで夢を追いかけることはできませんでした。結局、大人に言われた通りの道を進むだけ。そんな自分が嫌でした。
将来への希望が持てず、刹那的で無気力になっていった学生時代。でも、21歳の頃、夢を応援してくれる大人と出会い、人生が変わりました。夢を追いかけてもいいんだ、そう思えるようになりました。長い間、はまり込んで抜け出せなくなっていたところから、救われた気がしました。
今度は、わたしが応援する番です。夢は、応援してくれる人がいないと、簡単に潰れてしまいます。「夢を堂々と追いかけていいんだ」と伝えたいです。そして、その言葉が信じられるよう、わたし自身が夢を堂々と追いかけ続けたいと思います。