株式会社エポックモア 代表取締役社長
楠葉正子
Masako Kusuba略歴
1965年、岡山県生まれ。昭和58年、両備バス株式会社(当時7,000人のGr企業:リョービホールディングス)ガイド職として入社。 昭和61年、人事部教育課ガイドコーチとして、瀬戸大橋時代に約8年、約1,200名のガイド教育に携わる。
平成2年、国づくり人づくり財団 創始者。木原秀成先生に出逢い「運命創造学」「女性と家族のための100年時代の人生設計LRA」を学び始める。平成6年、木原秀成先生を師事し、両備バスを退社。多くの人々に「運命創造学」と「LRA」を拡げるため広島に移住。
幼少の頃から酒乱の父の面倒を見ながら母と協力して2人の弟を育てた経緯は、笑いあり涙ありのドラマ仕立て。
前職の企業内教育経験や、木原秀成先生の秘書役で各界著名人との経験など異色のエピソードの宝庫。
師匠のお言葉“今日が人生最後の日”を胸に運命創造学・LRAの実践を通じて培った境地からの講義をしている。
平成2年、国づくり人づくり財団 創始者。木原秀成先生に出逢い「運命創造学」「女性と家族のための100年時代の人生設計LRA」を学び始める。平成6年、木原秀成先生を師事し、両備バスを退社。多くの人々に「運命創造学」と「LRA」を拡げるため広島に移住。
幼少の頃から酒乱の父の面倒を見ながら母と協力して2人の弟を育てた経緯は、笑いあり涙ありのドラマ仕立て。
前職の企業内教育経験や、木原秀成先生の秘書役で各界著名人との経験など異色のエピソードの宝庫。
師匠のお言葉“今日が人生最後の日”を胸に運命創造学・LRAの実践を通じて培った境地からの講義をしている。
現在の仕事についた経緯
両備バスガイドコーチ時代に、これから先を見越して女性のための【人生100年時代の人生設計】を学びました。このことを拡げ、精神的自立・経済的自立が出来る女性の起業家を育成している、エポックモアに引き抜いて頂き、今があります。
仕事へのこだわり
仕事は、自分がどう生きてきたか、何を遺せたかの道標だと思います。
昨今のビジネス界では古臭いと言われるかも知れませんが、仕事を通じて人間完成を目指すことを目標においております。なのでまだまだ道半ばです…(汗)
昨今のビジネス界では古臭いと言われるかも知れませんが、仕事を通じて人間完成を目指すことを目標においております。なのでまだまだ道半ばです…(汗)
若者へのメッセージ
令和に入り、すぐにコロナ禍を迎え時代は大転換をしているようです。
多様性も増し、情報も増している、故に自分をどう信じて進むか?経済同様に全てが2極化しています。
自分づくり・自分磨き、これからは自分の魅力によって世の中を変えられるチャンスの時です。
大いに経験・体験をして頂きたく思います。
多様性も増し、情報も増している、故に自分をどう信じて進むか?経済同様に全てが2極化しています。
自分づくり・自分磨き、これからは自分の魅力によって世の中を変えられるチャンスの時です。
大いに経験・体験をして頂きたく思います。