株式会社aubelux 代表取締役

黒川志保

Shiho Kurokawa

心と直感は、私が本当は何になりたいかを知っている。

黒川志保

略歴

鎌倉女子大学児童学部卒業。幼いころから小学校教諭が夢であったが、4年次に父親の会社が倒産し、水商売で卒業。その後も日本国内を放浪しながら夜に働く生活をしていた。その頃にヨロン島と出会い、2年滞在。
帰京後、大病をしたことをきっかけに、「本当にやりたかったことをやろう」と公立小学校での講師勤務へ。周囲に推され、教員採用試験を41歳で受験し、合格。同時に父親の末期癌が発覚。正規教員を断念し、離職。
その後、株式会社JTBに派遣社員として4年勤務。恩師と出会ったことをきっかけに、旅行業に思いを馳せる。再度の大病後、50歳で総合旅行業務取扱管理者を取得、2021年8月に旅行代理業ジャーニールクスを開業。

現在の仕事についた経緯

旅行会社勤務時代、何度か転勤を経験させていただきましたが、元々放浪癖もあり様々な場所に住んでいました。その中でも、ヨロン島・奄美大島に大きな可能性を感じていました。この島へ行っていただくことで、人の心を癒せるであろうと考え、また、協力してくださっている島の方々に喜んでいただきたいと思いました。そして、「旅行業は働く人の為や地域貢献になるのでは」と思いました。
また、私は大病を2回経験しており、また、仲の良かった兄は55歳で若年性アルツハイマーのため施設に入りました。そういった経験から、この国・この時代・何かをすることが出来る体で生まれたことを心からありがたいと感じ、コロナ渦ではありましたがチャレンジを決意しました。

仕事へのこだわり

私は大手旅行会社に派遣社員として在籍していましたが、いわゆるツアーの販売やカウンター業務ではなく、「インターハイ」や「国体」の仕事をしており、転勤先の地方配宿センターでの事務責任者でした。
過酷な環境下で4年間乗り越えたことが大きな自信となったのは間違いありません。しかし、大手企業内でのごく小さな仕事をしていただけの私が、開業するにあたり、企画から仕入れ、お客様対応、精算、ホームページやチラシ制作、会計業務などすべてを1人で判断し、やっていかなければならなくなったのです。

法人設立後、奄美大島と与論島に1人で飛び込み、挨拶回りをしました。顧客ゼロ・営業経験ゼロの状態で名刺200枚を握りしめて向かいましたが、強運がもたらした出会いや応援が大きく広がり、地元観光業の方々と太いパイプを持つことが出来ました。その後も「人」と「人」としてマメに連絡を取り合い、様々な情報を仕入れるうちに、観光協会の方から「どの大手旅行会社よりも、奄美とヨロンに関して一番理解している会社」と言われるようになりました。これはこの数年の人生の中で、本当に一番嬉しい言葉でした。

現在も、出張の度にお客様に提供する予定のホテルに1泊ずつ泊まり歩いています。
お客様に料金ランクで宿を割り当てるだけの仕事はしたくありません。アクティビティや提供するサービスは全て体験し、納得したものだけをご紹介しています。
「旅行」を楽しむのは、現地で「人」を楽しむこととも思っているので、心を感じられる業者さまとだけお付き合いをしています。お客様に絶対「楽しかった!ジャニルクさんを利用してよかった!」と言っていただきたい。それが何よりも私の報酬なのです。
まだまだこの先もたくさんのご縁を作り、いずれは人を助けられるような力を持ちたいと考えております。本当はこれを一番叶えたいのですが、そのためにも今は会社を軌道に乗せることから、といったところです。

若者へのメッセージ

自分が若かった頃を思うと、人様にアドバイスができるような生き方はしていなかったと思います。
私の場合は病気や大きな出来事が原因で、やっと「見返りを求めずに生きてみること」に気付きました。(これは商売をする上では間違っているのかもしれませんが、あくまで私の考えです。)
私はこの年齢になるまで随分と回り道をしましたので、早いうちから人生設計をされている若い方をみると、逆に頭が下がります。
ただ言えるのは、私は、どんな時も何をしても一生懸命で逃げませんでした。今までしてきたことが伏線として引かれ、人生というストーリー上で現在の人脈や起業の結果になっているのだと思います。
あとはやってみて思わぬことが起こったら、きっと「go」のサインなんだと気付くことが大事です。儲かるか?成功するか?なんて関係ありません。そちらに行ってみるのです。
きっと懸命に誠意をもって生きてきた人にはそのサインが分かります。それが、あなたが人生で経験すべきことなのでしょう。