ComComファーム 代表
小室博文
Hirofumi Komuro略歴
昭和58年3月、中京大学法学部法律学科卒業。
同年4月、あづみ農業協同組合へ入所。青年部・女性部事務局長歴任し組織活動を牽引。と同時に広報マンとして地域の活動や農業のトピックス等を報道。
在職中、株式会社インターノースあづみ野へ6年間出向。平成14年ファーマーズランドあづみ野農産物直売所開設。広さ33㎡の直売所で開設4年目で、売上1億円を達成。
平成25年、JAの長期構想に掲げられた「6次産業化を付加した大型農産物直売所」構想に基づき、その統括責任者として大型農産物直売所「ハイジの里」を平成28年6月オープンさせる。
同年9月、JAを退職し、ComComファームを立上げ専業農家への道を歩む。
同年4月、あづみ農業協同組合へ入所。青年部・女性部事務局長歴任し組織活動を牽引。と同時に広報マンとして地域の活動や農業のトピックス等を報道。
在職中、株式会社インターノースあづみ野へ6年間出向。平成14年ファーマーズランドあづみ野農産物直売所開設。広さ33㎡の直売所で開設4年目で、売上1億円を達成。
平成25年、JAの長期構想に掲げられた「6次産業化を付加した大型農産物直売所」構想に基づき、その統括責任者として大型農産物直売所「ハイジの里」を平成28年6月オープンさせる。
同年9月、JAを退職し、ComComファームを立上げ専業農家への道を歩む。
現在の仕事についた経緯
「農家所得の向上」この事が、私のJA職員としての目標テーマでした。そんな折、まだ当時としては、先駆けであった農産物直売所の開設を1人任され、平成14年7月に安曇野スイス村へ農産物直売所「ファーマーズランド安曇野」をたった3ヶ月でオープン。会員125名でスタートした直売所が4年目にして会員数300人売上1億円を突破。この時、多くの農家の方から「農産物の所得が増えた」との数々の喜びの声を頂きました。
その後、更なる大型農産物直売所開設構想が持ち上がり、その開設総責任者として翻弄したのが平成25年からです。足掛け3年目の6月、目出度く長野県一の広さを誇る大型農産物直売所「ハイジの里」が完成しましたが、私自身は、極度のストレスからその8月退職。そんな廃人同様になりかけた私を救ってくれたのが、土を友とする農業で、枯れかかったやる気を再び燃え上がらせてくれました。
現在は、還暦を迎えながらも、地域のけん引役として、また、魅力ある農業づくりに日々邁進しています。
その後、更なる大型農産物直売所開設構想が持ち上がり、その開設総責任者として翻弄したのが平成25年からです。足掛け3年目の6月、目出度く長野県一の広さを誇る大型農産物直売所「ハイジの里」が完成しましたが、私自身は、極度のストレスからその8月退職。そんな廃人同様になりかけた私を救ってくれたのが、土を友とする農業で、枯れかかったやる気を再び燃え上がらせてくれました。
現在は、還暦を迎えながらも、地域のけん引役として、また、魅力ある農業づくりに日々邁進しています。
仕事へのこだわり
農業は、ただ単に種を播けば、農産物が収穫できるわけではありません。土づくりから生育過程での管理、収穫期における管理並びに収穫作業、そして、収穫後の作業とこれらの一貫作業は、ひとつも手を抜けない作業です。農産物は、良くしたもので、我が子を育てるようなもの。一生懸命手を掛け、農産物の姿を観察しながら適切な栽培管理を行うことで、大きな実りを迎えることができます。当然のことながら、安全安心な農産物づくりは、農業の底辺であり、そこに愛情を注ぎ、おいしい農産物が育ちます。そして、その農産物を食べて頂ける消費者がいます。私は、私の育てた農産物を食べてくれるお客様は、私の「家族」同然の方。とても、大切な方であると常々私はそう思い、農産物を生産しています。
若者へのメッセージ
農業は、無限の可能性を秘めている。と私は思います。取り組み次第では、1千万円以上の収入も不可能ではありません。
現代は、ストレス社会。その中にあって、ほとんどストレスなく仕事ができるのが、農業の良いところです。会社勤めも悪くありませんが、1から10まですべて自分で決め、自分で行動する。苦しいことも、辛いこともあるが、喜びの方が大きい。自然のドラマを見ることができるのも農業の魅力の一つです。
私は、ワクワクしながら、日々農業と向き合っています。
現代は、ストレス社会。その中にあって、ほとんどストレスなく仕事ができるのが、農業の良いところです。会社勤めも悪くありませんが、1から10まですべて自分で決め、自分で行動する。苦しいことも、辛いこともあるが、喜びの方が大きい。自然のドラマを見ることができるのも農業の魅力の一つです。
私は、ワクワクしながら、日々農業と向き合っています。