株式会社テクノシンセイ 代表取締役社長

木村健一

Kenichi Kimura

粉骨砕身

木村健一

現在の仕事についた経緯

私は1歳の時に小児麻痺を患い、障害者1級の診断を受けました。現在も普段の生活では、杖を使った生活が中心になっております。下半身が思うように動かせませんから、できる仕事が限られ、上半身を使ってできる仕事を探すことが若いうちから決まっていました。
弊社は富士通の協力工場としてスタートしましたが、当時私は大学在学中で、アルバイトとして同工場で働き始めたのが入社のきっかけになります。障害を持っていたこともあり、工場での作業に自分の活路を見出したのです。そして、大学卒業後には正社員として雇用していただき、様々な仕事に従事していきました。
やがて2代目の社長が私と同年代ということもあり、番頭的な立場を任せられるようになっていきます。創業家系とは一切の血縁はなかったものの、私に早くから信頼を置いていただき、2008年に3代目の社長に就任しました。それが現在の道へ繋がっています。

仕事へのこだわりと目標

私が障害を持っていることもあり、健常者と競争することが私の日常でもありました。そしてハンディを持つことで、自分なりに創意工夫を重ねることが当たり前になっていきました。人一倍頭を使い、人一倍周囲の言動を注視し、人一倍創意工夫をしてきたと思っています。その積み重ねが、私の強みとなっていきました。
創業当時はお客様のために寝ずに働いたこともよくありましたし、そうした前向きな姿勢が少しずつ社員の方々にも伝染していくものです。今では社員の責任感の高さは他のどの会社にも負けないと思っていますし、それが弊社の強みにもなっています。そして、その献身的な姿勢や熱意が、お客様からの信頼を得てきた要因になってきたのではないでしょうか。
また弊社は、24時間365日稼働しているため、短納期を実現できるのも特徴です。ある意味、今の時代とは逆行した稼働体制に聞こえるかもしれませんが、モノづくり業界で灯を絶やさずに事業を続けていくためには、そうした熱意が重要なのだと考えています。

弊社はプリント基盤の製造事業を主力にしていますが、今後は新たな事業も模索していかなければいけないと思っています。特に今までは受託生産が中心でしたので、商社的活動も行っていかなければと考えているところです。現在は搬送装置の自社製品の開発にも着手しており、様々な試行錯誤を繰り返しています。
また弊社には100名程度の人員がおりますが、そのうち6割はパート、20名は外国人従業員が占めています。コロナによって売り上げも減少し、モノづくりの業界では人材不足も大きな課題です。今後も雇用体制を整えていけるように、魅力ある組織づくりをしていくことが経営者としての役割だと考えています。

若者へのメッセージ

若い世代の間では「ゆとり教育」という言葉も取り沙汰されるようになり、社会に出る頃には「大手企業に就職したい」とか、「安定した業界で楽をして稼ぎたい」といった声も聞かれるようになりました。
しかし実際に幸せや富を手にするために、目先の利益や企業の規模は一切関係ありません。
大手に勤めていなくても私はベンツに乗ることができますし、逆に大手に勤めていた方がベンツに乗ることさえ難しい。大きな組織では自分のやりたいことを貫くことさえできないでしょう。
つまり、最終的に自分のやる気次第だということです。
あまり目先の利益や企業の規模に捉われず、自分のやりがいを持てる仕事を見つけ、道を切り拓いていってほしいと思います。