KFアテイン株式会社 代表取締役

川又貴仁

Takahito Kawamata

一心一意

川又貴仁

現在の仕事についた経緯

1999年から個人事業主として飲食店経営、カラオケ機材の販売やリース業、人材派遣業を行ってきました。全ての事業において黒字化でしたが、さらに「誰もやっていないことをやりたい」という想いから2005年に弊社を創業し、今に至っています。
現在の事業内容を思いついたきっかけは、飲食店を経営していた2003年頃、当時は店舗の掃除関係でお世話になっていたダスキンさんがハウスクリーニングも始めた頃で、「水垢がスルッと取れるような商品があればいいのに」というような話をしていたんです。そこで「あっ、これだ!」と思いました。
私にはスキー選手の姉がいるのですが、強い選手っていうのは専属のワックスマンが付きます。幼心に「ワックスってどう作るの?」「どういうものが入っているの?」ということに興味があって、よくそのワックスマンに話を聞いていました。
その記憶とダスキン様の話がリンクして「ワックスを利用すれば水垢はスルッと取れるんじゃないか」と思ったのが始まりです。
私は化学を専門に勉強したこともないですし、そういった仕事に関わったこともないため最初はすべて独学で塗料を作っていました。排水溝のぬめりや水垢となると、ワックスでただ滑らせるだけでなく、被塗物に吸着させる技術が必要になります。そこがだいぶ試行錯誤して、苦労した点です。
そのため、創業当時は塗料に混ぜて使う塗料添加剤の販売からスタートしました。既存の塗料に、我々の滑る効果がある材料を添加すれば、吸着効果プラス滑る効果のある塗料に変わるんじゃないかという考えで始めたんです。

仕事へのこだわりと今後の目標

弊社の持つ滑る技術を、雪に特化させたいと考えて取り組んできました。
日本では「滑る」という技術を研究している会社がたくさんあって、水を滑らせる、つまり撥水効果は既に確立されています。たとえばトイレの便器なんかには撥水の技術が活かされており、そのおかげで水垢やカビがつきづらくなっています。
しかし我々が取り組んでいる雪を滑らせるという技術は、世界を見てもまだ確立されていません。世界でも雪が多く降る国はありますが、たとえばドイツやロシアは日本より面積がずっと広いので、いわゆる「特別豪雪地帯」に人が住まなくて済みます。しかし日本は違って、海に囲まれた面接の狭いところにこれだけの人が住んでいます。
そこで我々は「雪滑り」に特化して、6年をかけて研究してきました。
機能もメカニズムも実証されていない最中でしたので、とにもかくにも絨毯爆撃的試験というかトライアンドエラーの日々でした。ただここ3、4年でやっと、東北大学、宮城県産業技術総合センターとの産学官連携などを通じて雪を滑らせる数値が明確になったり、どういうプロセスを通じて雪が滑るのかといったデータが取れるようになったり、ある程度論文が書けるようなところまできました。その中で最近我々がよく口にするのは「グローバルニッチトップを目指そう」ということです。雪滑りの技術を通じて、世界のトップを取りたいと思っています。


今後の目標としては、モノ売り業からコト売り業にシフトしていきたいです。
現在の我々は塗料メーカーです。商品開発をして、販売を行ういわゆるモノ売り業です。
しかし塗料というのは固まって、塗膜になって初めて商品になります。それなら、ただ塗料を一斗缶に入れてお客様に届けたとしても、それは十分な商品ではないと思うようになりました。そこで、次のビジネスとしてトラックメーカーの車両に塗装を行うという新事業を始めるつもりです。弊社の商品をご購入頂く場合に車両をお預かりして、塗料を塗ってからお返しするというコト売り業です。そうすれば適切な用法容量を守れますので「効果が出なかった、高い買い物をした」というクレームもなくなりますし、塗膜の品質保証もできます。なにせ商品のことをいちばんよく知っている我々自身が塗るわけですから。
塗膜のサービスを始めるにあたって、塗装工場の建設も計画しています。自社工場ができれば、塗装の方法や環境作りをDX化できますし、そこで初めてライセンス化ができると思っています。
塗装と聞くとどうしても「臭い」「汚い」というマイナスのイメージを連想されますが、弊社では塗装する社員や関係者、環境にも配慮した塗装工場を作るつもりです。
「楽しく塗装ができる」関係者がそう思えることがいちばんの品質保証に繋がりますから。

若者へのメッセージ

たとえ今辛くても、未来に希望を持ってほしいと思います。
私は東日本大震災を経験しました。それからずっと言っているのは「私の命は活かされた命です」ということです。当時は仙台港の近くに会社を持っていたので、すべて流されましたし、私自身もあと数十秒遅ければ命の保証はありませんでした。
そこからも大変で「生かされた命はこんなにも過酷か」と思うようなことがたくさんありました。簡単に言うと、命以外のものはすべて失いました。私は話をするのが大好きなんですが、半年間声が出なくなるという経験もしました。すべてを失った最後に声でした。私は負けてたまるかという気持ちが強い方なので、なかなか落ち込まなかった分が喉にきたんでしょう。原因不明の麻痺をおこして、朝起きたら急に声が出なくなっていました。そのときはさすがに人と会うのも嫌で落ち込んだんですが、「私には東日本大震災で生かれた命と、滑る技術がある」と自分に言い聞かせてました。
若い方にぜひ伝えたいこととしては「辛いことってたくさんあるけれど、神は試練という形で、己を試すことがあるんじゃないか」ということです。それを乗り越えた者だけに大役であったり、幸せという形を与えてくれたりすると私は思っています。だからこそ、色々経験をしてきた私も今こうして話しているし、笑えてるよと若い方や未来の子供達に伝えたいですね。
私自身も未来の子供達のために、何か興味を持てることを体験できる学校のようなものを作りたいと考えています。形はまだ明確に見えていませんが、必ず作るとお約束したいです。
ワクワクする未来を待っていて下さい。
その為に、皆さんも諦めずに、ぜひ未来に期待を持ってほしいと思います。