合同会社KAMING代表社員

神崎 弘樹

Hiroki Kanzaki

やると言ったことをやる

神崎 弘樹

略歴

PAN SCHOOL OF MUSIC IP科卒業。ギターを専攻し、「しゃるとるーず舞踏楽団」や「東京グランドアンサンブル」にてミュージカルを主宰。
作詞・作曲・編曲・脚本・演出・振付等も行いながら、自らショーに出演。
傍ら、ゼネラルエレクトリック社(米)で、照明事業部の日本市場のセールスマネージャーを経験し、国内外共に表彰を受賞。
リーダー育成機関の最高峰である、Crotonville project Managementを修了。
その後、29歳でKAMINGを創業し、現在に至る。 ​

現在の仕事についた経緯

創業当初のころは、Googleのインドアビュー(現ストリートビュー)というサービスが主体事業でした。現在ではシステム開発支援(SES)も主力ですが、始まったきっかけはエンジニア不足という社会問題からでした。

IT業界は、その多岐に渡る技術分野から、PJ毎に客先常駐するというオンデマンドな仕組みがあるため、フリーランスという存在が認められています。それによって、収入を高めたり、税金も抑えたりというすごいたくさんのメリットがあります。
日本に自立した精神を持った人を増やしたいなという思いもあり、このフリーランス向けに特化して事業がスタートしました。
当初は疑心暗鬼な人の方が多かったんですが、今でこそ珍しくもなくなり、実際にフリーになった人で、社員に戻りたいと言う人はいません。

仕事へのこだわり

私の仕事のこだわりはいくつかあります。
その根幹を2つ挙げたいと思います。

ひとつは、
「品質の高いお仕事をして、
それを価値として認めてもらい、
その分しっかりとお金を払っていただくこと」です、笑。

これが私の考える「繁栄」です。
お客さん側も、私(会社)側も、両方が成長していく必要があるんですね。

お金はお客さんの方から出てくるわけなので、お客さんを勝利させることが重要で、その為にも、私(会社)側が他社よりも絶対的に品質が高く在る必要があるのです。
価格が他社より安いかどうかはさして重要ではなく、お手ごろであれば十分です。

事実、私は他社さんより高くても、数多くの案件を頂戴してきましたし、
利益が出せたから、機材や研究などに投資ができて、さらに品質を高めることができました。

ですので、私は価格競争とか入札、コンペという類はすごい苦手です。
どちらかというと、入札要件に穴を見つけて、それよりももっといい方法があるよ!と付加価値をつけて提案してしまいたいからです。品質を上げたい私の特長は全く活かせない土俵だと思っています。

2つ目は、「自分でやると言ったことをやる」です。
これが本当に難しいですね。実際にはできない事が多いのですが、実はそこは最重要ではなくて、まずは自分が「やる」に真っすぐ立っているかどうか、ここをすごく大切にしています。

私が真っすぐ「やる」に立っていない時、良いパフォーマンスが出ずに損をしたり、ガッカリするのは、いつも私以外の誰かの方です。
そんな時、きっと私や会社の存在価値が下がってしまうんじゃないかという気がしています。

「自分の会社の存続のために、顧客を利用する」のではなく、
「顧客の存続のために、自分の会社が存在しているのだ」という価値のある仕事をするために、常に「やる」に立っていたいと考えています。

若者へのメッセージ

私はギター小僧でしたので、大学に行っていません。
でもお金は稼がないとな・・と思って、当時流行りだした「派遣社員」として働きました。
前職のGEでも、始めはなんと事務作業です。
しかし職種からは到底想像しえないハードさで、超激務だったんですけど、期待を越える事を目指して仕事を1年間続けたら、「根性あるね!営業やってみない?」と、契約社員になりました。おそらく年収の何割かで、派遣会社から買ってもらったのです。
(職歴も無い、英語もできない、茶髪で髪の長いアホなギター少年を・・。)

営業になっても、ガムシャラに尊敬する上司のいう事をひたすらやり続けたら、営業成績No.1をとったり、アジアで表彰されたりもしました。最後には、契約社員から、正社員になりました。

最近会った人は、僕の出身だけ見てエリートだとか言いますが、ひどい誤解ですよね。私に似合う植物は間違いなく「雑草」です。

20代で得られるもので最も重要なのは、物質的な豊かさではなく、「経験」だと思っています。30代では、それを基にしてようやくドンパチ戦える。
会社との付き合い方は年々、淡泊になってきてはいますが、仕事に関してはどっぷり真剣に向き合ってやった人だけが、どんな形であれ成功を掴んでいると思います。
あなただけの「勝利」を是非、掴んでください。