株式会社ブルー・スカイ・アソシエイツ 代表取締役
金子岳人
Takehito Kaneko略歴
1976年東京生まれ。野村證券等を経て国内外の投資ファンドにて10年弱の業務経験を持つ。起業後は不動産/再生可能エネルギーファンド向けのビジネスを積み上げる一方、子会社を設立し、事業者として宿泊施設をハブとした地方創生を推進している。株式会社Yomの社外取締役、ペナシュール房総株式会社及び合同会社きびラボの取締役を兼務。
現在の仕事についた経緯
投資ファンドに在籍していた時期に家族を持ち、長男を授かった翌年に東日本大震災を経験したことをきっかけに、強く起業への背中を押されました。ボランティアへの参加を通じてビジネスでも多数のご縁があった東北の町が壊滅したことを目の当たりにし、もともと旅館・ホテル再生に興味があったこともあり、地方への恩返しを含めて起業に踏み切りました。
企業理念でもありますが、自身の領域である不動産や金融のノウハウを活用し、ファンド組成支援や媒介等の実績を積み上げながら「資本と地域をつなぐ」とともに、宿泊施設をハブに「人と地域をつなぐ」ことで、地域の活性化に寄与・貢献したいと考えています。持続性のある地方創生を実現すべく、点ではなく地域連携を視野に入れた面での取り組みを前提に、「地域そのものを売る」仕組み作りを推進しています。
企業理念でもありますが、自身の領域である不動産や金融のノウハウを活用し、ファンド組成支援や媒介等の実績を積み上げながら「資本と地域をつなぐ」とともに、宿泊施設をハブに「人と地域をつなぐ」ことで、地域の活性化に寄与・貢献したいと考えています。持続性のある地方創生を実現すべく、点ではなく地域連携を視野に入れた面での取り組みを前提に、「地域そのものを売る」仕組み作りを推進しています。
仕事へのこだわりと目標
スピードと柔軟性ですかね。中小企業なので、即断即決して、走りながら考え、必要に応じて軌道修正しています。また、やり切ることへのこだわりは人一倍強く持っているつもりです。
一度ゴール設定をしたら、プロセスは柔軟に考える一方で、結果を出すためにあらゆる手を尽くします。ある時期から、意志は全くブレなくなりました。
今後は、施設運営を通して地方の火を1つ1つ灯してしていきたい、と考えています。我々の活動は微力ながら、地域によっては唯一無二の存在にもなり得ます。
関わる地域が増えることで、自分たちが帰ることができる場所が増えていくことにもなります。そんな風に地域との深い関わりが持てることはとても嬉しいことですし、人生の豊かさにもつながると考えています。
半ばライフワークとしながら、今後も1つずつですが地方の火を灯していきたいと考えています。
一度ゴール設定をしたら、プロセスは柔軟に考える一方で、結果を出すためにあらゆる手を尽くします。ある時期から、意志は全くブレなくなりました。
今後は、施設運営を通して地方の火を1つ1つ灯してしていきたい、と考えています。我々の活動は微力ながら、地域によっては唯一無二の存在にもなり得ます。
関わる地域が増えることで、自分たちが帰ることができる場所が増えていくことにもなります。そんな風に地域との深い関わりが持てることはとても嬉しいことですし、人生の豊かさにもつながると考えています。
半ばライフワークとしながら、今後も1つずつですが地方の火を灯していきたいと考えています。
若者へのメッセージ
若いうちに様々な挑戦をすることは素晴らしいことです。ただ、稼ぐというだけでなく、「何のために」という目的を大事にしてほしいと思います。
少子高齢化の日本社会においては、資本だけでなく、知識やノウハウを如何に社会還元していくか、という視点がとても重要になっていくと考えます。昨今はSDGsが様々な分野で意識されていますが、まさにサスティナブルな社会作りを一人一人が意識していく必要があると感じます。
人生の豊かさは、誰かと比較するものでも、誰かが決めるものでもないと思いますので、企業の中で挑戦するでも、起業して挑戦するでも、それぞれの道の先に持続可能でよりよい社会が実現できるといいですね。私もまだ道半ばですが、豊かな人生と未来に向けて挑戦し続けたいと思います。
少子高齢化の日本社会においては、資本だけでなく、知識やノウハウを如何に社会還元していくか、という視点がとても重要になっていくと考えます。昨今はSDGsが様々な分野で意識されていますが、まさにサスティナブルな社会作りを一人一人が意識していく必要があると感じます。
人生の豊かさは、誰かと比較するものでも、誰かが決めるものでもないと思いますので、企業の中で挑戦するでも、起業して挑戦するでも、それぞれの道の先に持続可能でよりよい社会が実現できるといいですね。私もまだ道半ばですが、豊かな人生と未来に向けて挑戦し続けたいと思います。