一般社団法人腸活環境育成協会代表理事

神谷陽子

Yoko Kamiya

いちの経験

神谷陽子

略歴

松本松南高等学校卒業。医療法人慈泉会相澤病院に医療事務課へ就職。医療機関に在職中、接遇対策委員として医療機関としての接遇向上に取り組む中、心が笑顔であることが仕事効率の向上、健康増進・ストレスの解消に繋がる事を実感し退職。
平成15年より表情筋トレーニング法と行動心理学・栄養学を組み合わせた独自の「笑顔力メソッド」を考案し、カルチャーセンターや企業等で講習・講演を行い、10年間で延べ、6500人の人に笑顔力メソッドを伝える。
心からの笑顔を支えるのには健康力を上げることが大切と考え、2015年12月一般社団法人腸活環境育成協会を立ち上げ「腸活・腸育理論」を伝え始める。

現在の仕事についた経緯

医療機関に在職中、接遇対策委員として医療機関としての接遇向上に取り組んでいました。その取り組みの中で、心が笑顔であることが仕事効率の向上、健康増進・ストレスの解消に繋がる事を実感し、職場を退職し笑顔力アップのため独自メソッドを考案し、啓蒙活動を始めました。

クライアントさんの中にうつ病から就業できない20代女性の方がおり、笑顔サポートを行っていました。彼女の目標は就職し、親御さんに金銭的迷惑をかけない人になること。サポート中、食生活への問題に気づき栄養の摂り方についてお伝えするようになりました。心の笑顔を引き出すのには、クライアントに栄養について知って頂き、ご自身が取り組まれる環境を提供することが大切だと思い、料理教室を開講し栄養の大切さや栄養をしっかり摂りいれる場所が腸であることをお伝えしてきました。

その活動を知った方から共感を得て、同じ活動を行いたいとのことで現在の一般社団法人腸活環境育成協会を立ち上げ活動を開始しました。

仕事へのこだわり

医療機関に勤務している頃、クリスマスに風邪をひいて寝込んだり、海外旅行1週間前に不明熱が出て点滴の日々を過ごしたりと周りに迷惑をかけたり、楽しいことに参加できなくなったりしました。
あの時の生活は、残業しながら菓子パンを食べたり、お菓子で空腹をしのいだり、食生活が乱れていたとつくづく思います。

ただ、自宅での食事は父が作る採りたての野菜をたっぷり食べていました。
健康にも美容にも無頓着だった私が、「心からの笑顔でありたい」と願ったことからスタートし、現在の腸活・腸育理論に辿り着きました。

私の夫は、内科医をしています。独身時代に夜間診療や救急対応で食事をまともに食べれず、即口に入れられるパンやカップ麺を食べていたようです。睡眠も少なかったこともあり、カラダを壊したことから食からの健康管理に興味があったようです。

結婚した当初、夫は体重85kgほどあり、脚に静脈瘤。これでは長生きしないと思った私は、夫に長生きしたいか、早死にしたいか問いました。答えは長生き(笑)。それから食生活を改善し生活スタイルも変えたところ、1ヶ月で85kg→75kg、翌月は71kgになりました。
それまで太ももが邪魔をして履くことが出来なかったジーンズをはけるようになり、オシャレを楽しむようになりました。現在は、66kgをキープしています。

パーソナルで体質改善やダイエット指導を行っていますが、一番大切にしていることは、その人が望む未来に向けての習慣にしたいことのサポート。

例えば、男性経営者Aさん(47歳)は、健診結果から医師に痩せるように言われました。この時82kg、自己努力で78kgまで下げたのですが、また80kgに近づきなんとかしないといけないと思いご相談がありました。
ヒアリングしていくうちに、80歳くらいまでは仕事も続けながら奥様と一緒にご旅行をしたいと考えられていました。その生活をカタチにするのに今の健康状態では不安があったようです。ご相談から3ヶ月サポートさせて頂きました。最初の7日で体重が2kg減り、10日で3kg減りました。ご本人からダイエットしている努力もないのに結果に繋がっていて嬉しいとのご感想を頂きました。

行ったのは、その方の描いた未来のライフスタイルに必要なことをプラスし、不要なことを手放しただけなんです。
人は90日同じことを積み重ねると習慣化できると言われています。Aさんは、自分の未来に必要な習慣を手に入れて、体重は目標の64kg、排便状態も良好になりました。今もキープされています。

その方がありたいと思う未来を引き出し、その未来を叶えるために健康面も含めたライフスタイルのサポート行うのが腸活・腸育ライフスタイルデザイナーとしての活動となっています。

若者へのメッセージ

私が20歳の頃、祖母が余命4ヶ月の末期癌だと分かりました。その頃は、病室に寝泊まりして看病するのが一般的で、父と祖母の3人暮らしだった私は、仕事が終わると毎日祖母の病室に寝泊まりし看病していました。祖母は、病室でも寂しい思いをしなかったようで、毎日私が病室に戻ってくるのを楽しみにしていたようです。その甲斐あってか、4ヶ月の余命宣告を倍の8ヶ月後に他界しました。闘病中、特に苦しむこともなく人生最後の日に姉が持ってきたメロンを食べ、ひ孫を抱っこし、とても幸せな笑顔で過ごしてました。

今、振り返ってみると就職活動時に医療事務をする気持ちはなく、学校からの推薦で就職しました。そこで病と向き合うご本人やご家族をみて潜在意識の中で、健康の尊さを意識し、今仕事として行っているのかと思います。

私は、物より経験に対価を払うようにしています。経験する中で面白いことや、楽しいこともあれば、辛いことや悲しいことも経験しました。体験を全て覚えているわけではないですが、その一つひとつが糧になり、今の私を形成していると思います。

今まで生きてきた中で、誰もが価値ある経験をされていると思います。それらが、あなた自身の未来の糧になると思います。善きも悪きも受け止め人生の糧にされて進まれてください。