有限会社明石設備代表
遠藤 高史
Takashi Endo略歴
私立小松原高等学校自動車科卒業。
新卒で株式会社ヤナセに自動車整備士として入社。
好きな仕事と夢をかなえるための手段が違うことに気づき転職し、株式会社ダイセーロジスティクスで大手企業の担当責任者として勤務する。
後に家内の父が経営する有限会社明石設備に入社し建設現場で経験と知識を学び、代表取締役に就任して現在に至る。
新卒で株式会社ヤナセに自動車整備士として入社。
好きな仕事と夢をかなえるための手段が違うことに気づき転職し、株式会社ダイセーロジスティクスで大手企業の担当責任者として勤務する。
後に家内の父が経営する有限会社明石設備に入社し建設現場で経験と知識を学び、代表取締役に就任して現在に至る。
現在の仕事についた経緯
前職のダイセーロジスティクスの仕事はやりがいもあり続けていきたかったのですが、毎月約150時間の時間外労働でも残業代は一切支払われず、
それでも4年ほど頑張ってきましたが、ある日突然給与が半分近く減給され、本社の方たちと話をしましたが解決には至らず、ここまで会社に尽くしてきたのにって言う思いもありましたが、結果的に会社に裏切られたんだと理解して退職をしました。
職業安定所に通っていた時に、家内の父から(当時はまだ結婚はしておりません)「どうだ、うちでアルバイトでもするか」と言われはじめは次の職場が見つかるまでの繋ぎでお世話にならせて頂くぐらいにしか考えてませんでした。
それでも4年ほど頑張ってきましたが、ある日突然給与が半分近く減給され、本社の方たちと話をしましたが解決には至らず、ここまで会社に尽くしてきたのにって言う思いもありましたが、結果的に会社に裏切られたんだと理解して退職をしました。
職業安定所に通っていた時に、家内の父から(当時はまだ結婚はしておりません)「どうだ、うちでアルバイトでもするか」と言われはじめは次の職場が見つかるまでの繋ぎでお世話にならせて頂くぐらいにしか考えてませんでした。
仕事へのこだわり
初めは好きで始めた仕事ではなかったので、ただ一日一日が終わればいいやって思いで1,2年は仕事しておりました。
しかし義父の私に対する期待が大きい事に徐々に気づき始め、その期待に応えられるか分かりませんでしたが、やれるところまでやろうと自分の中で覚悟ができた時、
そこからは不思議なぐらい今まで覚えられなかった事や物がスイスイ覚えられて、自信もつきこの仕事に対してのこだわりやお客様への思いやりをもてる自分になりました。
しかし義父の私に対する期待が大きい事に徐々に気づき始め、その期待に応えられるか分かりませんでしたが、やれるところまでやろうと自分の中で覚悟ができた時、
そこからは不思議なぐらい今まで覚えられなかった事や物がスイスイ覚えられて、自信もつきこの仕事に対してのこだわりやお客様への思いやりをもてる自分になりました。
若者へのメッセージ
たった一度きりの人生です。
自分の本当にやりたいことをチャレンジしてください。
時間は有限です後悔しない人生を歩んでください。頑張って失敗したならそれは後悔ではありません。
やらないで終わらせてしまう人生の方が後悔です。
今一度自分の本当の夢は何だったかを思い出してください。
そしてわくわくする人生を送りましょう。
自分の本当にやりたいことをチャレンジしてください。
時間は有限です後悔しない人生を歩んでください。頑張って失敗したならそれは後悔ではありません。
やらないで終わらせてしまう人生の方が後悔です。
今一度自分の本当の夢は何だったかを思い出してください。
そしてわくわくする人生を送りましょう。