株式会社ミート・コンパニオン代表取締役社長

阿部昌史

Masashi Abe

変化しないことは後退を意味する

阿部昌史

略歴

駒沢大学経済学部経済学科卒業。修行期間を経て(株)ミート・コンパニオンへ入社。 入社後、牛肉の輸入自由化から当時の新規事業であった加工メーカー事業においてグループの中心として活躍し、1992年2月、33歳の若さで(株)日本カイハツミートの社長へ就任。 2009年に(株)ミート・コンパニオンの社長へ就任し、生産ラインの規模拡大や 海外への食肉輸出を開始するなど肉屋、そして食肉業界のイメージを変えていこうという思いを胸に、これからも舵を切り続けていく。

現在の仕事についた経緯

現在の仕事をすることは、学生時代に全くと言っていいほど考えたことはなかったです。学生時代は好きな音楽に没頭し、当時は昭和60年代のバブル時代のことですから、就職で苦労するようなことは想像していませんでした。音楽で食べていくことは無理だとしても、いざとなれば父の会社に就職すればいいと大きな甘えがありました。
しかし、厳格であった父に頼むと全く受けつけてもらえませんでしたが、三つの条件を達成すれば認めるとのことでした。一つ目は、まず4年で大学を卒業すること。二つ目は、大学卒業後、1年間食肉専門学校に入学すること。三つ目は、入社前に同業社で最低2年間は修行を積むこと。その段取りは全て実父がするという内容だったのです。
そこで初めて自分の人生に向き合うことになります。父の会社に入社するということは、将来会社を継承するということ、その事を真剣に考えると共に人生の目標に定め、覚悟を決めました。音楽活動もやめて、生活パターンを改め、どうにかギリギリの卒業単位で大学を卒業し、当時千葉県北柏にあった全寮制の伊藤ハムの食肉技術専門学校の1年コースに入学しました。
その後、精肉専門店と量販店での修行期間を経て晴れて入社しますが、当時の会社は卸問屋業が主体の会社でしたので、職人気質が高くまさに体育会系企業。職場はどちらかというと寡黙で閉鎖的であり、当時は会社業績も伸び悩んでいた時期でした。
多かれ少なかれオーナー中小企業はみな似たような感じだったのではと思いますが、会社はマンパワーで成り立っていたので属人的であり、誰かが誰かに仕事のやり方を教えるという文化がほとんどなかったのです。会社の中に人を育てるという意識や文化がなければ、これ以上の発展は難しいなと感じました。
そういう状況下ですから、まずは社内よりも顧客と相対する営業職でとにかく目に見える結果で応えていきたいと思い、新しい取引先と新しい販路を開拓していきながら徐々に皆に認められるようになってきたのです。営業職の傍ら、30代のうちから後継者として様々な社内改革を行っていきますが、当時、専務取締役であり経理・財務を取り仕切りながら父を支えてきた実母が、過度のストレスにより日常業務が出来ない状態になってしまいます。そのことが大きなきっかけとなり、私は33歳のときに会社役員に就任、同時に関連会社の社長に就任しました。家庭内企業である体質から企業組織体へと変化していく大きな機会が、この当時なのかも知れません。

仕事へのこだわり

こだわっていることは多くありますが、新人時代からやっていることとして「何事も挑戦する」「まずやってみる」というスタイルは大切にしています。
管理面を考えて、社長就任時は全てといっていいほどルールがないものにはその都度ルールを定めていきました。この会社が今どういう状況なのかを数字で把握出来ないまま、日常の仕事をしていくことにすごく不安を感じていたからです。数値目標のないものは、全て数値化して「見える化」していきました。
また社長就任後に、O-157食中毒事件、国内BSE問題、米国BSEによる牛肉輸入停止、産地偽装事件、ミートホープ事件、宮崎県口蹄疫発生、鳥インフルエンザ、そして今は、豚コレラと挙げればキリがないですが、食肉業界には荒波が起こっていました。
毎年ネガティブキャンペーンのように社会問題として取り上げられた商環境の中で、その逆境をチャンスに変えることが出来たのは、その時々で新しいことも柔軟に取り入れながらうまく対応してきたからだと思っています。
さらに業態は、一つに絞らずに同時に別の事業などを同時並行で行っていくことを心掛けています。仮に一つの事業が低迷していても、他の事業を行っていることで活路を見出し、
常にリスクヘッジを考えながら先を見た経営を考えております。
そして私の大きな財産でもあり教訓となっていることは、平成9年に唯一の取引銀行であった北海道拓殖銀行の破綻への対応です。その周辺から極度の資金難となり、取引先へも多額の支払い遅延が発生するなど業界内にも不安情報が流れていました。私自身も資金調達に奔走し、結果的に多くの方に支えられ、危機的状況を乗り切ることが出来ました。
その後も何度と業績が低迷する時期を経験しましたが、当時の困難を考えれば自然と自信と勇気が湧いてきます。そして、日頃から真摯に真面目に仕事に取り組む企業姿勢が、お取引先の信頼を勝ち得たからなのではないかと思っています。何事に対しても全力で取り組み挑戦していく、できないという言葉を簡単に発するのではなく、まずはトライしていくという社風を大事にしています。

若者へのメッセージ

今後日本を背負っていく若者に対して、三つのことを大切にしてほしいと考えております。「モノを書く、汗をかく、恥をかく」の三つであります。特に「恥をかく」ということは、なかなか積極的に出来ない部分だとは思いますが、いい意味で若者の特権だと思っております。例えば、会社で自分から大きな声を出して挨拶するとなると実はとても勇気のいることだと思いますが、社員からすれば「お!あいつは元気だな!」と良い印象をもってもらえます。恥をかくことで結果的に自分の成長の機会の創出に繋がります。
若者の皆様は、勇気を出して「恥をかく」ことを率先していってほしいです。