株式会社いきがい 代表取締役
照井資規
Motoki Terui略歴
北海学園大学法学部在学中にHTB映像株式会社に勤務。
阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、全日空ハイジャック事件の報道番組制作を契機に、1995年陸上自衛隊に入隊(2等陸士)。普通科(歩兵に相当)隊員として現代戦闘に精通し、 2002年3等陸曹に昇任。
師団司令部でのコンピューターネットワーク陸曹勤務にてINT関連技術を習得。
2007年、幹部候補生、医療職種(衛生科)へ職種を変更。
2008年、衛生官に任官(陸自衛生科部隊の指揮官・幕僚、軍事医療に関する研究、教官を担う幹部)
2011年、陸上自衛隊富士学校普通科部にて研究員となり小銃小隊規模の戦闘、小銃や機関銃等の武器、防弾ベスト、ヘルメット等の防護具、戦場における、救助・救出・救護・救命・治療・後送について研究。
2012年 、陸上自衛隊の事業としてアメリカ フロリダ州にて開催された、Tactical Medicine ESSENTIALS Train the Trainer Course(国際標準戦闘救護・ 初療指導員養成課程)に派遣され指導員の資格を取得。
2014年、陸上自衛隊衛生学校にて研究員、訓練資料「衛生科諸元」の改訂を担当、教科書「戦傷病の治療」の改訂に協力し、軍事医療に精通。
2015年、陸上自衛隊を退官。最終階級は2等陸尉。
一般社団法人アジア事態対処医療協議会(TACMEDA:タックメダ)を立ちあげ、医療従事者にはテロ対策・有事医療・集団災害医学について教育、自衛官や警察官には世界最新の戦闘外傷救護技術を指導。一般人向けには心肺停止から致命的大出血までを含めた総合的救命教育を提供し、高齢者の救命教育にも力を入れている。
教育活動は国内のみならず世界13か国に及ぶ。
2017年、愛知医科大学非常勤講師(災害医学・医療安全)
2019年、日本工業大学 MOT技術経営修士(専門職)修了。
2020年、一般社団法人TACMEDAを株式いきがいに変更。 国立琉球大学医学部 非常勤講師(救急医学)。
2021年、埼玉県国民保護協議会委員に就任。
阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、全日空ハイジャック事件の報道番組制作を契機に、1995年陸上自衛隊に入隊(2等陸士)。普通科(歩兵に相当)隊員として現代戦闘に精通し、 2002年3等陸曹に昇任。
師団司令部でのコンピューターネットワーク陸曹勤務にてINT関連技術を習得。
2007年、幹部候補生、医療職種(衛生科)へ職種を変更。
2008年、衛生官に任官(陸自衛生科部隊の指揮官・幕僚、軍事医療に関する研究、教官を担う幹部)
2011年、陸上自衛隊富士学校普通科部にて研究員となり小銃小隊規模の戦闘、小銃や機関銃等の武器、防弾ベスト、ヘルメット等の防護具、戦場における、救助・救出・救護・救命・治療・後送について研究。
2012年 、陸上自衛隊の事業としてアメリカ フロリダ州にて開催された、Tactical Medicine ESSENTIALS Train the Trainer Course(国際標準戦闘救護・ 初療指導員養成課程)に派遣され指導員の資格を取得。
2014年、陸上自衛隊衛生学校にて研究員、訓練資料「衛生科諸元」の改訂を担当、教科書「戦傷病の治療」の改訂に協力し、軍事医療に精通。
2015年、陸上自衛隊を退官。最終階級は2等陸尉。
一般社団法人アジア事態対処医療協議会(TACMEDA:タックメダ)を立ちあげ、医療従事者にはテロ対策・有事医療・集団災害医学について教育、自衛官や警察官には世界最新の戦闘外傷救護技術を指導。一般人向けには心肺停止から致命的大出血までを含めた総合的救命教育を提供し、高齢者の救命教育にも力を入れている。
教育活動は国内のみならず世界13か国に及ぶ。
2017年、愛知医科大学非常勤講師(災害医学・医療安全)
2019年、日本工業大学 MOT技術経営修士(専門職)修了。
2020年、一般社団法人TACMEDAを株式いきがいに変更。 国立琉球大学医学部 非常勤講師(救急医学)。
2021年、埼玉県国民保護協議会委員に就任。
現在の仕事についた経緯
テレビ局勤務での報道番組制作を通じて、日本国の危機について見聞を広め、陸上自衛隊に入隊しました。医療職の幹部となり、東日本大震災にて被災と災害派遣を経験した後に、陸自事業として派遣されたアメリカとオーストラリアにて国際標準の救命及び外傷治療技術、現代戦闘の実際、危機管理法について修得しました。
これらの内容について自衛隊員のみならず日本国民全員への普及の必要性を感じ、ジャーナリストになり著作活動に励むと共に、教育内容を最も効率良く普及させる方法として起業し、公益資本主義による株式会社の事業としました。さらに日本から世界中に広めるため、著作の外国語翻訳版の発刊など国際化を推進しています。
これらの内容について自衛隊員のみならず日本国民全員への普及の必要性を感じ、ジャーナリストになり著作活動に励むと共に、教育内容を最も効率良く普及させる方法として起業し、公益資本主義による株式会社の事業としました。さらに日本から世界中に広めるため、著作の外国語翻訳版の発刊など国際化を推進しています。
仕事へのこだわり
人生にとって豊かさなどの基盤は自立と安全にあるとして、いかなる環境でも生き残り、自活できる能力と危機への対応力は、あらゆる人にとって必須のものと考えています。
日本は災害大国であり、阪神淡路大震災や東日本大震災などの大規模自然災害、東京電力福島第一原子力発電所事故などの原子力災害、世界唯一の被爆国にして、地下鉄サリン事件などの化学テロも発生しました。
新型コロナウイルス感染拡大に90年ぶりの猛暑が重なった中でのオリンピック開催など、特殊災害の全てを経験している唯一の国である日本では、危機管理と救命において見識が深められているはずであり、それは後世に伝えなければなりません。また、天然資源に乏しい日本は、それらを世界中に広めることで国際的な価値を高め発展していくことが欠かせないのです。このことはまた、日本国周辺の軍事的緊張が高まりを見せている状況での国家安全保障にも通じます。
地球温暖化により環境そのものが不安定かつその変化の予測が困難となった時代、人の意思が科学をねじ曲げ、問題を複雑化させるようにもなりました。技術の進歩が速い一方で、振興感染症が数ヶ月で世界中に拡散するなど、新たな危機もまた急速に国際的に拡散しています。
変化が激しく、予測しにくい、過去の繰り返しが通用しなくなったこれからの時代を生き抜くには、確固とした自分自身の基盤が欠かせません。そのためには物事の原理・原則に基づいた正しい判断ができる基礎的知識や思考力が必須となります。
その一方で他人との関わりにも変化が訪れました。コロナ禍が個人に感染を拡大させないことを求めるようになった一方で、AEDの普及など誰でも救命出来る能力を持てるようにもなりました。誰もが他人の生命に責任を持つことを求められる時代でもあります。
複雑に高度化した時代を生きる上では、応用の利く統合された教育が最も効率が良いため、1つを憶えれば遍く活かすことができることにこだわっています。
日本は災害大国であり、阪神淡路大震災や東日本大震災などの大規模自然災害、東京電力福島第一原子力発電所事故などの原子力災害、世界唯一の被爆国にして、地下鉄サリン事件などの化学テロも発生しました。
新型コロナウイルス感染拡大に90年ぶりの猛暑が重なった中でのオリンピック開催など、特殊災害の全てを経験している唯一の国である日本では、危機管理と救命において見識が深められているはずであり、それは後世に伝えなければなりません。また、天然資源に乏しい日本は、それらを世界中に広めることで国際的な価値を高め発展していくことが欠かせないのです。このことはまた、日本国周辺の軍事的緊張が高まりを見せている状況での国家安全保障にも通じます。
地球温暖化により環境そのものが不安定かつその変化の予測が困難となった時代、人の意思が科学をねじ曲げ、問題を複雑化させるようにもなりました。技術の進歩が速い一方で、振興感染症が数ヶ月で世界中に拡散するなど、新たな危機もまた急速に国際的に拡散しています。
変化が激しく、予測しにくい、過去の繰り返しが通用しなくなったこれからの時代を生き抜くには、確固とした自分自身の基盤が欠かせません。そのためには物事の原理・原則に基づいた正しい判断ができる基礎的知識や思考力が必須となります。
その一方で他人との関わりにも変化が訪れました。コロナ禍が個人に感染を拡大させないことを求めるようになった一方で、AEDの普及など誰でも救命出来る能力を持てるようにもなりました。誰もが他人の生命に責任を持つことを求められる時代でもあります。
複雑に高度化した時代を生きる上では、応用の利く統合された教育が最も効率が良いため、1つを憶えれば遍く活かすことができることにこだわっています。
若者へのメッセージ
何かを思いついたのであれば、それを成し遂げることはその人の役割です。それを実現する上で経験や資格の有無に捕らわれることはありません。今の時代、必要な経験や資格は効率的に身に着けられるようになりました。
私はこれまでの人生において3度覚悟を決めた瞬間がありました。
1度目はテレビ局勤めをやめて自衛隊に入隊する時、2度目は自衛隊で衛生科の幹部になる時、3度目は自衛隊を退職して起業する時です。いずれも他人の目から見れば無謀に映ったかもしれません。しかし、いずれも、自分はいかなる環境でも生きてゆける確信が覚悟を決める決断を可能にしました。
今までの人生のおいて大きな変化はありましたが、人生の目的は一環しています。貫くべき信念と確固とした基盤が、これまでの人生を築いてきました。
自分の人生について考えることは世の中を知ることから始まります。それも国際的な視点が必須です。自衛隊だけが人生ではないことが困難な時の心の支えでもありましたし、自分が活躍すべき舞台は自衛隊の中だけでもなければ、日本国内に留まるものでもありませんでした。自分が世界で活躍することが、自衛隊を定年退官まで務めるよりも遙かに大きな規模で日本の平和に貢献できています。
一貫すべきは信念であり、一身独立して一国独立すに他なりません。
私はこれまでの人生において3度覚悟を決めた瞬間がありました。
1度目はテレビ局勤めをやめて自衛隊に入隊する時、2度目は自衛隊で衛生科の幹部になる時、3度目は自衛隊を退職して起業する時です。いずれも他人の目から見れば無謀に映ったかもしれません。しかし、いずれも、自分はいかなる環境でも生きてゆける確信が覚悟を決める決断を可能にしました。
今までの人生のおいて大きな変化はありましたが、人生の目的は一環しています。貫くべき信念と確固とした基盤が、これまでの人生を築いてきました。
自分の人生について考えることは世の中を知ることから始まります。それも国際的な視点が必須です。自衛隊だけが人生ではないことが困難な時の心の支えでもありましたし、自分が活躍すべき舞台は自衛隊の中だけでもなければ、日本国内に留まるものでもありませんでした。自分が世界で活躍することが、自衛隊を定年退官まで務めるよりも遙かに大きな規模で日本の平和に貢献できています。
一貫すべきは信念であり、一身独立して一国独立すに他なりません。