株式会社Jinaサロン代表取締役
明石春枝
Harue Akashi略歴
1992年 4月有限会社コミュニティー、有限会社もしもし新聞社所属
大阪府南部のローカル誌編集記者として、環境問題(ダム建設の是非、ごみ問題)、介護保険法、報道被害にみるマスコミの倫理観、地方自治のあり方、等多数の題材を手がける。
1998年 1月東京第一ホテル堺入社 ブライダルプランナーとして約100組のブライダルプランを成立
2000年 8月退職
2000年11月株式会社アートオブヘアー入社・大阪店カウンセラー勤務
2001年 4月同社神戸店店長
2003年 3月同社営業部長
2004年 4月退職
2004年 8月Jinaサロン起業
大阪府南部のローカル誌編集記者として、環境問題(ダム建設の是非、ごみ問題)、介護保険法、報道被害にみるマスコミの倫理観、地方自治のあり方、等多数の題材を手がける。
1998年 1月東京第一ホテル堺入社 ブライダルプランナーとして約100組のブライダルプランを成立
2000年 8月退職
2000年11月株式会社アートオブヘアー入社・大阪店カウンセラー勤務
2001年 4月同社神戸店店長
2003年 3月同社営業部長
2004年 4月退職
2004年 8月Jinaサロン起業
現在の仕事についた経緯
2000年11月 アートオブヘアー株式会社入社。神戸店店長、営業本部長を経る。
2004年 3月 ウィッグ、育毛業界の価格設定、経営方針に疑問を感じ退職。
オーダーウィッグ業界はコンプレックス産業の一つで、口コミが成立しにくく、広告に頼らざるを得ない高額販売の現状に、もっと適正な価格に下げたいと起業を模索。
2004年 6月 新事業立ち上げの計画中に元の会社が倒産。
2004年 8月 急遽、お客様フォローの必要を感じ三宮に直営美容室を開店。
2005年 9月 日本商工会議所 第4回女性起業家大賞受賞 特別賞受賞(美容室との協力で品質を下げずに広告費を抑え大手の半額以下で上質なオーダーウィッグを販売する)
2004年 3月 ウィッグ、育毛業界の価格設定、経営方針に疑問を感じ退職。
オーダーウィッグ業界はコンプレックス産業の一つで、口コミが成立しにくく、広告に頼らざるを得ない高額販売の現状に、もっと適正な価格に下げたいと起業を模索。
2004年 6月 新事業立ち上げの計画中に元の会社が倒産。
2004年 8月 急遽、お客様フォローの必要を感じ三宮に直営美容室を開店。
2005年 9月 日本商工会議所 第4回女性起業家大賞受賞 特別賞受賞(美容室との協力で品質を下げずに広告費を抑え大手の半額以下で上質なオーダーウィッグを販売する)
仕事へのこだわり
髪に悩む女性に寄り添って一緒に乗り越えていきたい。たまたま出会ったウィッグの仕事でかけがえのない多くの出会いがありました。事業を進める中で厳しい状況、もうダメかもしれないと弱気になる時、いつもお客様が私の背中を押してくれました。「私たちのために頑張って欲しい」と…。
アピアランス(外見)ケアが見直されています。抗がん治療で髪をなくした患者さんに、より自然なウィッグをお作りすることで自分を取り戻し、明るく前に向くためのサポートを続けてきました。
癌だけではなく、多発性円形脱毛症や自己免疫疾患で髪を失くしたり、加齢に伴う薄毛の悩みを抱える女性にもアピアランスケアは必要だと感じています。今までの経験を生かして下着やメイク、ネイル、香り、カウンセリングなどの総合サポートができる専門サロンとして女性の元気を応援していきます。
アピアランス(外見)ケアが見直されています。抗がん治療で髪をなくした患者さんに、より自然なウィッグをお作りすることで自分を取り戻し、明るく前に向くためのサポートを続けてきました。
癌だけではなく、多発性円形脱毛症や自己免疫疾患で髪を失くしたり、加齢に伴う薄毛の悩みを抱える女性にもアピアランスケアは必要だと感じています。今までの経験を生かして下着やメイク、ネイル、香り、カウンセリングなどの総合サポートができる専門サロンとして女性の元気を応援していきます。
若者へのメッセージ
既存の価値観を少し疑ってみる。やってみたいと感じることがあれば、道を探し進んでみる。間違えたら戻ってやり直せばいい。そんな気持ちで進んできました。
たくさんの壁、失敗、どんな経験も自分次第で力になる。と実感しています。
やる気になればトライできる日本はまだまだいい国だと思います。
たくさんの壁、失敗、どんな経験も自分次第で力になる。と実感しています。
やる気になればトライできる日本はまだまだいい国だと思います。