株式会社システムアドバンス 代表取締役
宇野博幸
Hiroyuki Uno現在の仕事についた経緯
元々、血液医療系のシステム開発をしておりました。
起業当初の2000年は、血液医療系のシステムというのはあまりありませんでした。インターネットが流行り出した頃だったので、インターネットのウェブブラウザを使って、インターネット上に患者のデータを置いた、今でいうクラウドのシステムで患者のデータを管理しようということで動き出しました。
血液医療現場で人工透析の患者さんから「お兄ちゃんは色んな場所に行けていいよね」と言われたのですが、その方たちを様々な場所へ連れていきたいなと思い、クラウドのシステムで患者のデータを管理しようということを考えました。
起業当初の2000年は、血液医療系のシステムというのはあまりありませんでした。インターネットが流行り出した頃だったので、インターネットのウェブブラウザを使って、インターネット上に患者のデータを置いた、今でいうクラウドのシステムで患者のデータを管理しようということで動き出しました。
血液医療現場で人工透析の患者さんから「お兄ちゃんは色んな場所に行けていいよね」と言われたのですが、その方たちを様々な場所へ連れていきたいなと思い、クラウドのシステムで患者のデータを管理しようということを考えました。
仕事へのこだわり
20年前の起業当初、クラウドという言葉が無かったのですが、そういったシステムを組みたいということを、ベンチャー支援の所でしました。岐阜県にはソフトピアジャパンという結構大規模な施設があります。そこでそういうことを唱えながら入ったのですが、起業してそういう開発をやりながらもう5年ぐらい経った時に、医療学会などでそのような人工透析患者のカルテシステムのウェブ版を発表していたら、医療法の問題で患者のデータをインターネット上に出すことは難しいという話になってきました。
その頃に患者のデータをどうやって患者に持たせたら良いのだろうというようなことを考え出したのですが、東京のある展示会の時に台湾の企業がCD-R販売をしていました。指紋、フラッシュメモリを首からぶら下げてデータを持たせるのが一番早いということで、アメリカのオーセンテック社の技術を用いまして、USBフラッシュメモリとそれを融合させたものを作りました。
2005年頃、会社の規模も5、6人だったのですが、もう少し地元の人と様々なことを融合していこうと考えた時に、地元でウェブのデザインがやりたいという女の子が来ました。地元では就職するところがないと言っていて、東京など都心に行かせるのは少しもったいないなということを考え出して。この子たちの夢を叶えてあげようということで、現在の会社の基盤となっていたホームページやアプリ、ウェブのシステムを作るといったことに落ち着いてきました。
その頃に患者のデータをどうやって患者に持たせたら良いのだろうというようなことを考え出したのですが、東京のある展示会の時に台湾の企業がCD-R販売をしていました。指紋、フラッシュメモリを首からぶら下げてデータを持たせるのが一番早いということで、アメリカのオーセンテック社の技術を用いまして、USBフラッシュメモリとそれを融合させたものを作りました。
2005年頃、会社の規模も5、6人だったのですが、もう少し地元の人と様々なことを融合していこうと考えた時に、地元でウェブのデザインがやりたいという女の子が来ました。地元では就職するところがないと言っていて、東京など都心に行かせるのは少しもったいないなということを考え出して。この子たちの夢を叶えてあげようということで、現在の会社の基盤となっていたホームページやアプリ、ウェブのシステムを作るといったことに落ち着いてきました。
若者へのメッセージ
自分が夢を描いたことは夢で終わらすのではなく、実行に移して欲しいですね。
「If you can dream it、you can do it(夢は願えば叶う)」というウォルトディズニーの言葉好きで、会社の入り口の所に会社のマークと一緒にそれが書いてあります。
最近のビジネスも色々変わっているのですが、すぐ対価にはできないマネタイズみたいな感じで様々なことに対して行動していかなくてはいけません。
「If you can dream it、you can do it(夢は願えば叶う)」というウォルトディズニーの言葉好きで、会社の入り口の所に会社のマークと一緒にそれが書いてあります。
最近のビジネスも色々変わっているのですが、すぐ対価にはできないマネタイズみたいな感じで様々なことに対して行動していかなくてはいけません。