石井工業株式会社 代表取締役社長
山﨑 昇
Noboru Yamazaki略歴
日本大学生産工学部土木工学科卒業 。
平成2年、飛島建設株式会社に入社。現場施工管理業務に従事。
その後、平成6年に山崎建設株式会社に入社し、現場施工管理業務及び土木作業に従事。
平成7年、石井工業株式会社に入社。現場施工管理業務に従事。常務取締役を経て平成19年に代表取締役社長に就任し、現在に至る。
平成2年、飛島建設株式会社に入社。現場施工管理業務に従事。
その後、平成6年に山崎建設株式会社に入社し、現場施工管理業務及び土木作業に従事。
平成7年、石井工業株式会社に入社。現場施工管理業務に従事。常務取締役を経て平成19年に代表取締役社長に就任し、現在に至る。
現在の仕事についた経緯
大学卒業後、一部上場のゼネコンに就職し、現場にて技術者として携わっておりましたが、3年務めた頃、父より石井工業(株)から誘いが来ていることを聞かされました。
父は石工職人で祖父の代から石井工業(株)にお世話になっていました。
その為、ゼネコンで手掛けていた工事完成引渡し終了後に退職し、石井工業(株)に技術者として転職する事になりました。
平成7年9月より現場の管理監督を経て平成12年に取締役に就任。脱同族企業を掲げていた前社長(石井由己雄氏)が大月市長選挙に当選したのを機に、石井工業(株)第5代目代表取締役に就任しましたが、大正2年創業以来初の同族外社長となり、長い歴史を誇る企業の社長という立場に非常に大きな責任の重さを痛感し、日々精進をしております。
父は石工職人で祖父の代から石井工業(株)にお世話になっていました。
その為、ゼネコンで手掛けていた工事完成引渡し終了後に退職し、石井工業(株)に技術者として転職する事になりました。
平成7年9月より現場の管理監督を経て平成12年に取締役に就任。脱同族企業を掲げていた前社長(石井由己雄氏)が大月市長選挙に当選したのを機に、石井工業(株)第5代目代表取締役に就任しましたが、大正2年創業以来初の同族外社長となり、長い歴史を誇る企業の社長という立場に非常に大きな責任の重さを痛感し、日々精進をしております。
仕事へのこだわり
特にこだわっていることは【努力・忍耐】
いざという時は『集中力を高め、忍び忍んで忍び抜き努力を重ねること』の精神で仕事をしています。
また、『人生一生涯、学びの日々』を心がけています。立場や環境に違いはあっても、日々の勉強は人間とし成長する上で必要不可欠と捉えております。
いざという時は『集中力を高め、忍び忍んで忍び抜き努力を重ねること』の精神で仕事をしています。
また、『人生一生涯、学びの日々』を心がけています。立場や環境に違いはあっても、日々の勉強は人間とし成長する上で必要不可欠と捉えております。
若者へのメッセージ
今の世の中は、非常に早いスピードで時代が変化していると思います。
この変化に「根っこ」のところを忘れず、即応していけるかが何事にも大切だと思います。
仕事には必ず目的と目標があり、その目標達成に必要な事は『学び、考え、行動し、学ぶ』
年代を問わず、頭で考えて無理だからと諦めてしまう人が多く見受けられますが、行動を起こさないと何も始まりません。失敗しても、そこから『学ぶ』事が必ずあります。
『学び、考え、行動し、学ぶ』を数多く繰り返した人が成長し人間力を高め、夢や目標を掴み取るのです。幾多の壁が待ち受けていますが、諦めず一つ一つ乗り越える努力を惜しまないことです。その努力の積み重ねが自信につながり、人としての器を大きくし、どんな逆境や時代変化があっても、突破できるものと思います。
この変化に「根っこ」のところを忘れず、即応していけるかが何事にも大切だと思います。
仕事には必ず目的と目標があり、その目標達成に必要な事は『学び、考え、行動し、学ぶ』
年代を問わず、頭で考えて無理だからと諦めてしまう人が多く見受けられますが、行動を起こさないと何も始まりません。失敗しても、そこから『学ぶ』事が必ずあります。
『学び、考え、行動し、学ぶ』を数多く繰り返した人が成長し人間力を高め、夢や目標を掴み取るのです。幾多の壁が待ち受けていますが、諦めず一つ一つ乗り越える努力を惜しまないことです。その努力の積み重ねが自信につながり、人としての器を大きくし、どんな逆境や時代変化があっても、突破できるものと思います。