エコロフーズ・コンサルティング・カンパニー代表/中小企業診断士

槌田 博

Hiroshi Tsuchida

事業は試行錯誤の失敗と成功を繰り返しながら成長するものだから、好きな事業じゃなきゃやってられないよね

槌田 博

略歴

1960年東京都生まれ。早稲田大学理工学部応用物理学科入学と同時に、都立の児童養護施設で家庭教師ボランティアを始める。在学中に、早大最大規模のコンピュータサークル早稲田大学経営情報学会(MIS.W)の第14代幹事長、株式会社ニュートピアを設立し取締役開発部長。卒業後、日本国際ボランティアセンター(JVC)国内定住インドシナ難民プロジェクトリーダー。その後、環境科学を学ぶため横浜国立大学大学院環境科学研究センターで有機塩素化合物の環境動態や農薬の大気汚染を研究し、博士(工学)。その後、生活クラブ生協連合会に就職、約30年間にわたり品質管理部門に従事し品質管理部長で定年。
現在、中小企業診断士事務所を設立し、食品業界の経営コンサルタント。NPO有害化学物質削減ネットワーク非常勤理事と一般社団法人東京環境経営研究所非常勤理事も務める。

現在の仕事についた経緯

生活クラブ生協連合会の品質管理部長の頃、沢山の食品工場を訪問し、工場の衛生管理、原材料の調達やそのトレーサビリティ確保の相談をしました。問題や課題があれば共に協力して、良い製品作りの支援をしてきました。
その職歴の中で、何人もの事業承継された若社長に出会い、そのご苦労と努力も拝見して、やがて立派な社長になる姿に感動してきました。分野こそは違いますが、自分の家は3代続く学者の家で、家業=博士でした。自分自身は、運よく学者の道から離れ、好きな仕事に出会うことができました。
中小企業診断士として独立するにあたり、食品業界の2代目若社長を応援する経営コンサルタントになろうと決心しました。

仕事へのこだわり

血液型がB型のせいか、幼小の頃から、興味をもった作業に没頭する高い集中力と持続力があります。しかし、興味がないと全く手がつきません。学校の成績も、学年トップとクラス最下位の科目が並ぶ状態です。
そのため、努力はしました。高校の友人と毎朝一時間早く登校して英単語の特訓をし、大学時代のアルバイトの稼ぎの半分をECC英語教室につぎ込みましたが、成果は感じませんでした。
しかし、皮肉にも齢60を超えると、自然に英語を読んだり話したりしています。ちなみに、アルバイトの稼ぎの残りの半分は、後輩にお酒をご馳走するために消えていきました。

ある仕事をしているとき、何か別の仕事のアイディアが浮かぶことがよくあり、仕事のミスを防ぐために手を止めて、浮かんだアイディアの処理を終わらせます。自分はマルチタスクで仕事ができるのだと自惚れていましたが、ひとつのコアでタイムスライスして仮想マルチタスクをしたに過ぎません。今のスマホでは複数コアが当たり前ですから、人間は相当負けています。ただ若いときは、メモリ容量が大きかったと実感します。今となっては心もとないです。
コアの話でいうと、何か原稿を引き受けたときは、必要そうな資料を手早く集めた後に、その仕事を止めて別の仕事をします。そして〆切が近づいたころに再びその原稿に取り組みます。するとスラスラと筆が進み、期限までに原稿が完成します。このことを右脳に仕事を丸投げすると言っています。つまり、右脳と左脳で二つのコアです。右脳は結構頼りになります。

こんないい加減な仕事をしている自分が報酬をもらえるのは、「約束した期限を守る」という原則を徹底して守っているからです。こだわりは、これだけかもしれません。

若者へのメッセージ

後悔しないことがとても大切です。やりたいことは全部やって、やりたくないことは絶対にやらないでください。
例えば、自分が大学3年生のとき、理科系の各部で授業や実験レポートはかなり分量がありましたが、そのほかに300人規模の会員がいるコンピュータサークルの幹事長、近所の児童養護施設での家庭教師ボランティア、日本国際ボランティアセンターのインドシナ難民ボランティア、友人と立ち上げたIT企業の取締役開発部長、漁民研究会、家庭教師アルバイトとやりたい放題でした。東京23区の端から端まで1日に3拠点ぐらいをママチャリで朝から晩まで走り回る毎日でした。ガソリンを使うバイクには乗らないと粋がっていました。就職してからも、NPOの非常勤理事をしたり、本を執筆したり、なんでもやりたい放題でした。
やりたくないことについては、徹底して考えておいてください。いざという時に考えても遅いかもしれないから。例えば、人を苦しめたくない、人を騙したくない。泣かしたくない。原則のレベルで決めておきましょう。
そして商売の秘訣は、「5者満足」です。お客さん・取引先・世間に加えて、従業員と経営者自身が満足できること。争う暇はありません。