一般社団法人リノベーション専門学校 代表理事

飛田恭助

Kyosuke Tobita

人生一度きり

飛田恭助

略歴

高校卒業後は冷凍食品倉庫作業員やトラック運転手などブルーカラーの仕事に就いた。好きな車いじりやバンド活動に明け暮れた。人生の転機を迎えいざリフォーム営業の道として株式会社OKUTAに入社(当時は株式会社PLUS)。営業職としてTOPへ上り詰め唯一無二の存在グランドマスターとなる。店長・複数店舗リーダーを計7年間務め執行役員に就任。人事採用初め教育・研修のスペシャリストとして活躍後2018年独立。中小企業のコンサルティングや教育事業等、多方面で活躍中。

現在の仕事についた経緯

株式会社OKUTAに入社後は約20年間、現場の叩き上げでTOP営業やマネージャー職を務めてきました。その実績を買われ執行役員に就任。営業部部長を経た後、当時、CEOから「業界最高峰の教育の仕組みを創ってほしい」という破天荒なオファーもあり、執行役員を担いながら、人財開発の要である人事採用と教育・研修を全般的に行う部署長を務めてきました。
そんな中、人口減少問題、少子高齢化、空き家率問題などを受けた国策の後押しもあり、追い風とはいえ業界は益々レッドオーシャン化していきました。淘汰の対象にさらされる企業が増えてきたことで起きる倒産や事業縮小により大きなダメージを受ける消費者と、健全で善良な企業であればその企業とそこで働く豊かな人材を守りたいという想いから、リノベーション業界全体の底上げのために、一般社団法人リノベーション専門学校を立ち上げました。

仕事へのこだわり

新人時代は入社前からのモットーだった、「どんなに厳しくても稼げる仕事」がこだわりでした。割とガンガンやってきた方ですが、仕事する本質的なことは持ち合わせてはいませんでした。元々ブルーカラー出身ですのでスーツやネクタイを付けて仕事すること自体が初めてでした。最初の頃は鳴かず飛ばずの特に目立った営業ではありませんでしたが、とある人との出会いをきっかけに営業として飛躍していきました。割と考える方ではありましたが、若い分、考えるより行動が先でした。今思えば無理難題・限界突破ばかりしてきました。今の若い社員にその歴史を話すと皆驚きます。まず不可能だと思えることを可能にしてきたからです。『なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人のなさぬなりけり(上杉鷹山)』ですね。
嫌いな言葉は「若いからしょうがない」です。若いからとナメられるのがとにかく嫌で、ベテラン勢を打ち負かすことには人一倍闘志を燃やしていたと思います。鼻っ柱だけは強かったと思います。特に営業の師匠が居たわけでもありませんので、ただ目の前のことに集中してきました。若い時は同期や同世代とのライバル視もありましたが、20代半ばからは目の前のことを一生懸命積み上げました。自分と自分の仕事に誇りを持っていたからです。
27歳で責任者(店長)にもなりましたから、そこからは更に自己研鑽の日々で、すると、いつの間にか目指される立場になっていて、若い社員からも目標とされるようになりました。私は一度マネジメントからプレイヤーの道に戻っていますが、気付けば究極のNo.2理論も確立し、複数の店舗の再建にも大きく貢献したことで、当時キャリアパス上には存在しない唯一無二の営業の称号を貰うことができました。

若者へのメッセージ

私は20代にメチャメチャ無理をしてきました。当時は無理なことだと全く思いませんでしたが、今考えればメチャメチャやってきました。誰もが不可能だと思うことをやってきました。若かったしバカかったからできたのだと思いますが、何を言いたいのかと言うと、誰かが言った、「若いうちの苦労は買ってでもしろ!」という言葉があるぐらい、20代の下積みの時代が一番大切だと思っています。
そこでどれだけ無理できるかが仕事人としてのベースを育て、キャパが決まってくると思っています。何事も始めるのに遅すぎることはないとは思いますが、年を重ねるほどキャパは広がりにくくなりますから、若いうちに思いっきり無理をしてキャパを広げて大きな土台を形成して欲しいです。
人生100年時代と言われる今、大切な20代にどう土台を造るのかはとても大切なことだと思っています。30代で独創性を、40代以降で脂をのせていく感じでしょうか。人を決めつけてはいけないように自分自身を決めつけてもいけません。殻を破るのもまた自分自身です。人間は圧倒的にポテンシャルの方が大きい。それを開花させ人生を謳歌できるように自分の無限の可能性にチャレンジして行ってほしいと思います。
人生一度きり!Do it now!