株式会社岡野エレクトロニクス 代表取締役

田中 博

Hiroshi Tanaka

何事にも諦めない気持ち

田中 博

現在の仕事についた経緯

元々、私は生まれも育ちも大阪でした。ですが私が中学生のとき、父が亡くなりました。その後私は就職で東京に出ていたのですが、大阪の母が地元の鹿児島に帰ることになったのです。そのとき東京にいた妹は東京に残ると言ったので、母の面倒を見るためだけに、私が鹿児島に来たようなものです(笑)。
現在の株式会社岡野エレクトロニクスができたばかりのころ、そこに就職しました。あれは昭和58年のことでしたが、以来ずっと鹿児島におります。そして、この工場で私なりに必死に奮闘していたら、ちょうど10年前に社長に抜擢されたのです。

仕事へのこだわりと今後の目標

もともと弊社は、富士通さんの下請けでした。ところがその富士通さんが2010年に撤退することになったのです。私の工場は100パーセントの仕事が富士通さんからのもので、それに震災が加わったため状況は絶望的でした。
ですが、そのどん底をスタート地点と考え、諦めずに頑張っていたら現在は年商26億円を超える会社になれたという次第です。
今でこそ弊社は安定しておりますが、それまでには大変な思いをしました。何百人の社員に辞めてもらったり、また色んな工場に社員たちを応援に行かせる等、やりくりしました。そうして自社の仕事を始めるということで、よその応援に行かしていた社員たちに戻ってきてもらい現在の状態まで持ってきたのです。


私は社員たちに社長にしてもらったと考えておりますので、あのどん底期を共有してくれた恩返しとして、この会社を百年企業にしたいと思っています。そのための取り組みも現在、考案中です。これまでお世話になったお客様のことをしっかり考え、これから来る新規のお客様や仕事への参考にしようと考えております。つまり弊社の強みや弱みをよく分析した上で、経営陣のみならず社員全体で現状をさらに高めようとしているのです。

若者へのメッセージ

現在、都内はコロナで大変なこととなっております。ですがこのことは逆に、活躍する場が都内限定ではなくなったとは、考えられないでしょうか?
「がんばろう、がんばろう!」」としていたら、やがて疲れてパンクしてしまうかもしれません。ですからそうではなく、「諦めない!」という信念を持つことが重要だと思います。
私は東日本大震災の際に東北に行きましたが、どんなに頑張っても、何ともならないことが多いと学びました。ですが諦めずに物事に取り組んでいれば、私でさえ社長になれ、ゼロから年商26億円の会社に持っていけたのです。とにかく若い人には目標を定め、諦めずにそこに向かっていく生き方をしてほしいと思います。
諦めたらすべてが終わりですが、諦めさえしなければ必ず目標は達成できます。