株式会社江戸清 代表取締役会長

高橋伸昌

Nobumasa Takahashi

「報恩感謝」「徳不弧 必有燐」

高橋伸昌

略歴

《株式会社江戸清 略歴》
1894年創業者の高橋清七が横浜外国人居留地(現 横浜中華街)で精肉店を開業したのが始まり。関東大震災や横浜大空襲の大禍に見舞われる中、事業環境の激しい変化の荒波を乗り越え現在に至る。
ブタまんをはじめとした各種中華饅頭・中華惣菜・創業当初からの食肉加工品は、横浜名物として広く親しまれ、中華饅頭製造会社として全国屈指の規模に成長した。
「品質優先」「顧客志向」「食文化の創造」を理念とし、食品を製造・販売する企業として、「作る喜び」「提供する喜び」を活力に、多くの消費者に「食べる喜び」「美味しい喜び」を届けている。
BtoB領域では中華点心・中華惣菜にとどまることなく、ハンバーガーパティやとんかつなどの食肉加工品を製造し幅広いチャネルに提供し成長の原動力となっている。
2021年9月食品安全マネジメント規格の国際認証であるFSSC22000を横浜本社工場、千葉工場で取得し「品質優先」に磨きをかけている。

《高橋伸昌 略歴》
1982年慶應義塾大学卒業後、野村證券株式会社に入社。将来を嘱望されるなかで1994年株式会社江戸清に戻り、数々の新しい試みや改革を行い、業績を向上させて2000年に4代目代表取締役社長に就任。度重なる課題に直面するなかで会社の舵取りを行い、2020年には代表取締役会長に就任した。また、2015年に公益社団法人横浜中法人会会長、さらに2018年に横浜中華街発展会協同組合5代目理事長に就任し、地元横浜及び横浜中華街の発展に向けて更なる努力を惜しまない。

現在の仕事についた経緯

慶應義塾大学を卒業してから野村證券に入社をしました。実力第一の会社に入ることで自分も鍛えられると思ったからです。当初は江戸清に戻るつもりでいましたが、ダイナミックで厳しいビジネスが自分の性にも合っていて仕事もどんどん面白くなり、組合執行部に入ることなどで成長させてもらいました。
ただ当時の江戸清は、伊藤ハムから資本参加を受けており、「江戸清が将来、独り立ちできるようになったら、株式は譲ってもよい」ということで始まった支援でしたが、事業環境などが変化する中で話が膠着していました。
父からは「そのまま野村證券で頑張れ」と言われていましたが、そのような時に「江戸清に戻って父と一緒にこの問題を解決してもらいたい」と母から懇願され、その一滴の涙で戻ることを決意しました。これが1994年の出来事です。
伊藤ハムから「江戸清が私器から公器になり近代化された経営に変えていくこと」を条件に、1996年から徐々に株を譲っていただき、最終的には2013年、伊藤ハムから全株をいただき今日の江戸清があります。歴代の社長のご厚意に改めて感謝しています。その間、2000年に代表取締役に就任、約20年に及ぶプロジェクトでした。

仕事へのこだわり

私の座右の銘として「報恩感謝」「徳不弧 必有燐」とう言葉があります。とにかく、世の為人の為地域の為、また会社の為に良いことをしていれば必ず力を貸してくれる人が現れると改めて感じています。そして常に今日という日は沢山の人に支えられている、常に感謝の気持ちを大事にしようと励行しています。
問題はたくさん起きますが、ノープレイノーエラーの通り経営者として問題が起こることは当たり前、それを自然に受け止めてどうするかを考え前に進めてきました。問題は課題であり、乗り越えることで成長に繋がります。
私が社長に就任した2000年頃から、家畜の疾病・口蹄疫・BSE等さまざまな問題が毎年起きてきました。他にも、O-157のような食中毒事件・食品偽装、一番笑ってしまったのは“段ボール肉まん”ですね。フェイクニュースの影響で、江戸清中華街店舗の売上が、ある日突然一気に30%になりました。
そのような苦境の中でも、物事をポジティブに受け止める、誰かのせいにするのではなく、自分にまだまだ足りないところがあったのではないかと考えることで、その後の対応が大きく変わってくると思います。