株式会社光レジン工業 代表取締役

大野仁生

Kimio Ono

一期一会

大野仁生

現在の仕事についた経緯

弊社は父が創業しました。会社を継ぐ最初のきっかけになったのは、忘れもしない私が小学校6年生の時です。
「親父の会社は継がない」と豪語する兄に対し、なんだか寂しげな父の姿を見て「じゃあ俺が継ぐよ」と言ったのがすべての始まりでした。
中学に上がると実際に父の仕事を手伝うこともあり、手作業でモノを作ることの面白さを実感しました。当時から車の部品を取り扱っていましたので、自分の作ったモノが街中を走っているという嬉しさもありましたね。
その後は工業高校で機械や設計についての体系を学び、卒業後は専門学校で経営についても勉強しました。そして20歳のときに入社しました。
父が体を悪くしてからは、代表取締役会長・社長と2人体制で歩んできましたが、2017年に私が単独で代表取締役に就任しました。不安はなかったと言えば嘘になりますが、若い頃に青年会議所で学んだ利他の精神や、経営者としてあるべき姿を実現すべく、日々邁進しています。

仕事へのこだわりと目標

社員を「光レジンファミリー」として大切にすることです。
私自身が一期一会を大切にしていますし、ここまで来られたのも私の能力ではなく、一つ一つの出会いのおかげだと感じているからです。そう考えると弊社で頑張ってくれている社員はなによりの財産で、リストラ等は絶対に考えられません。
同時に、社員同士が密にコミュニケーションを取れるような雰囲気作りにも注力しています。弊社で取り扱うFRP(繊維強化プラスティック)の製造は手作業的な工程も多くありますので、高品質のモノづくりを行うためには、仲間同士でなんでも話し合えるような快適な環境が必要だと考えているからです。
私自身は、シンプルに言えば「今この場で何ができるか」ということを常に意識して歩んできました。恐らく今後もその姿勢は変わりませんし、社員にも同じくそうあってほしいと考えています。

今後の目標として、事業においては従来の下請けの仕事だけでなく、社会貢献に通ずるモノづくりにより注力したいと考えています。自社で設計製造・販売している津波対策用シェルター『HIKARi』はまさにそのようなコンセプトから生み出されました。
製造業はゼロから物を生み出すことができる非常に尊い仕事ですが、ただ仕事に従事している内はなかなか世の中の役に立っていると実感しづらいことがあります。しかし自社の製品を自身の手で納品すると、エンドユーザーの顔が見えて、モチベーション向上に繋がるものです。
私としては、そういった形で社員にモノづくりの楽しさ・醍醐味を感じてもらいたいと考えています。
社会にも社内にも笑顔が増えるようなモノづくりがより展開できれば、製造業の冥利に尽きるというものです。

若者へのメッセージ

まず漫然と生きるのではなく、何かしらの夢を持ってもらいたいですね。
「夢」と言うとなんだかダサいと感じる方もいるかもしれませんが、夢とはつまり目標のことで、実現可能なことを指します。何かしらの「夢」=「目標」を1つ1つクリアしていくことで成功体験が生まれ、ポジティブになり、それが自分の糧になっていきます。
もちろん世の中は自分の思う通りには行きませんから、成功へ向かう途中には、挫折や苦悩もあります。あなたに反対意見を示す人もいるでしょう。しかし、そういったものを乗り越える達成感こそが人生だと思って楽しめるようになると、この世で無敵になれます。

そして成功するためには、時に無茶をすることも必要です。最初からバランス良くというのは難しいものです。
若いうちは時に無茶をして、時に休息を取るという塩梅を大切にして、前へ進んでほしいと思います。