株式会社プログラぶっく 取締役CEO
大木 章
Akira Oki
略歴
日本大学芸術学部放送学科卒業後、理想科学工業株式会社に営業として入社。
入社後に始めたボクシングでプロボクサーとなり、営業とプロボクサーの二足の草鞋を履く。怪我で引退したが、怪我を克服した後、プロキックボクサーにもなる。
30歳を機に、スポニチテレビニュース社(テレビ番組制作会社)へ転職、新宿東南口屋外ビジョン(フラックスビジョン)の立ち上げ営業を1人でこなし成功させる。
その後は、企画制作プロデューサーとしてスポーツドキュメンタリーを中心に制作。
転職動機の「プロ格闘家の生き方」の集大成作品完成を機に、広告プランナーに転職し、その後、プランニングに携わった人工知能の研究を開始。2016年より代表取締役の飛坐と共に、「プログラぶっく」の開発を開始、プログラブックの事業の開発、教育教材としての考え方を作り上げる。
マスコミ戦略や特許取得などの知財戦略を得意とする。
入社後に始めたボクシングでプロボクサーとなり、営業とプロボクサーの二足の草鞋を履く。怪我で引退したが、怪我を克服した後、プロキックボクサーにもなる。
30歳を機に、スポニチテレビニュース社(テレビ番組制作会社)へ転職、新宿東南口屋外ビジョン(フラックスビジョン)の立ち上げ営業を1人でこなし成功させる。
その後は、企画制作プロデューサーとしてスポーツドキュメンタリーを中心に制作。
転職動機の「プロ格闘家の生き方」の集大成作品完成を機に、広告プランナーに転職し、その後、プランニングに携わった人工知能の研究を開始。2016年より代表取締役の飛坐と共に、「プログラぶっく」の開発を開始、プログラブックの事業の開発、教育教材としての考え方を作り上げる。
マスコミ戦略や特許取得などの知財戦略を得意とする。
現在の仕事についた経緯
代表の飛坐から「2020年から義務教育に導入されるプログラミング教育」について、テレビ番組企画もしくはイベントを考えてほしいと依頼されリサーチを開始しました。
リサーチをしていく段階で、これからの子供に必須の教育であるにもかかわらず「教育格差」に左右される教育であると気が付き、以後の事業理念となりました。
元々、代々の教育者一家であった土壌もあり、「全ての子供たちにプログラミング教育の機会の創出」を掲げ、開発をスタートさせ、以後教育事業に没頭しています。
リサーチをしていく段階で、これからの子供に必須の教育であるにもかかわらず「教育格差」に左右される教育であると気が付き、以後の事業理念となりました。
元々、代々の教育者一家であった土壌もあり、「全ての子供たちにプログラミング教育の機会の創出」を掲げ、開発をスタートさせ、以後教育事業に没頭しています。
仕事へのこだわり
思い付きや考え付いたことは、すぐに実行し、トライ&エラーを繰り返しながら、自分自身に染み込んだ仕事を実行しています。
若者へのメッセージ
失敗は成功の糧、頭で結論を出さずに行動してください。