株式会社Lu.na 代表取締役
村岡大也
Hiroya Muraoka略歴
大学卒業後、リゾートホテルのフロントに就職。接客を学ぶ半面、今一度自分の人生を考える時期に突入。
その後、独立を視野に入れ、覚悟を決めて光通信に入社。営業成績を上げ、毎月インセンティブ獲得。それと並行して各種セミナー、ビジネスを始め、人脈を拡大。
その後は地元にUターンし、赤字続きだったホテルのマネジメントを行い、わずか1年半で黒字化に成功。
27歳の頃にスクールIE事業に携わり、60名だった教室を約3年間で170名の教室規模まで成長させ、全国1位を獲得。その後、32歳の頃に独立開業。34歳の頃に法人化に成功し、10年超の夢を実現。現在は2校舎の運営を行っている。
その後、独立を視野に入れ、覚悟を決めて光通信に入社。営業成績を上げ、毎月インセンティブ獲得。それと並行して各種セミナー、ビジネスを始め、人脈を拡大。
その後は地元にUターンし、赤字続きだったホテルのマネジメントを行い、わずか1年半で黒字化に成功。
27歳の頃にスクールIE事業に携わり、60名だった教室を約3年間で170名の教室規模まで成長させ、全国1位を獲得。その後、32歳の頃に独立開業。34歳の頃に法人化に成功し、10年超の夢を実現。現在は2校舎の運営を行っている。
現在の仕事についた経緯
人から感謝をされる仕事がしたいと大学時代から思い、大学卒業後はホテルに就職しました。
しかし、24歳の頃に「いつかは会社の社長になりたい」という気持ちが芽生えてきました。ただ具体的なビジョン等はまだなく、まずは営業力=稼ぐ力を付けることが必要と考え、業界最大手の光通信へ入社しました。
その後、当初のホテルの仕事が楽しくて忘れられず、なおかつ、もっと社長との距離が近い仕事がしたいと思い、地元のホテルのマネジメントを始めました。毎年赤字続きだったのですが、1年半後には初の黒字化に成功しました。ただホテル経営をしていく中で、資金面もですが、何より経営の黒字化がいかに難しいかを知りました。
この業界で独立をするのは無理だと判断し、光通信時代で知ったストックビジネス、当初から思いがあった「人から感謝される仕事」の両方が組み合わさった仕事はないかと考え、辿り着いたのが塾業界でした。
数ある学習塾の中から、スクールIEを選んだ最後の理由は人(当時の社長)でした。「この人についていきたい!」と心底思い、塾業界に飛び込んで、今に至ります。
しかし、24歳の頃に「いつかは会社の社長になりたい」という気持ちが芽生えてきました。ただ具体的なビジョン等はまだなく、まずは営業力=稼ぐ力を付けることが必要と考え、業界最大手の光通信へ入社しました。
その後、当初のホテルの仕事が楽しくて忘れられず、なおかつ、もっと社長との距離が近い仕事がしたいと思い、地元のホテルのマネジメントを始めました。毎年赤字続きだったのですが、1年半後には初の黒字化に成功しました。ただホテル経営をしていく中で、資金面もですが、何より経営の黒字化がいかに難しいかを知りました。
この業界で独立をするのは無理だと判断し、光通信時代で知ったストックビジネス、当初から思いがあった「人から感謝される仕事」の両方が組み合わさった仕事はないかと考え、辿り着いたのが塾業界でした。
数ある学習塾の中から、スクールIEを選んだ最後の理由は人(当時の社長)でした。「この人についていきたい!」と心底思い、塾業界に飛び込んで、今に至ります。
仕事へのこだわり
色々な業界の仕事をしてきましたが、一貫して村岡大也というキャラクターにブレはなかったです。言い換えると、組織の中では異色な存在だったと思います。
また、今も昔も自分の中で仕事とプライベートを分けるということはあまり意識していません。その方が、自分が楽で、ストレスフリーでいられるので。そのため「仕事帰りの居酒屋で一杯しながら上司に愚痴を~」というのは経験がないんです。
自分が独立を意識する中で、まずマインドを変えないといけないと考えました。常にプラス思考であり続ける必要があると、常日頃から感じています。そうすることで、自然と行動や結果も変わっていきます。
そうあるために、僕というキャラクターをいかに維持し、社員やスタッフの前で村岡大也という最強社長(スタッフからはスーパーサイヤ人と言われていますが…笑)を演じています。
ですので、塾の仕事ですが髪型やスタイルは勿論、私生活面からかなり異色だと思います。自分の中でいくつか決めたことがあり、それを約10年間実践していますが、これもキャラクター作りの一種です。結果として今が成功しているのでこれは続けていくつもりです。
また、今も昔も自分の中で仕事とプライベートを分けるということはあまり意識していません。その方が、自分が楽で、ストレスフリーでいられるので。そのため「仕事帰りの居酒屋で一杯しながら上司に愚痴を~」というのは経験がないんです。
自分が独立を意識する中で、まずマインドを変えないといけないと考えました。常にプラス思考であり続ける必要があると、常日頃から感じています。そうすることで、自然と行動や結果も変わっていきます。
そうあるために、僕というキャラクターをいかに維持し、社員やスタッフの前で村岡大也という最強社長(スタッフからはスーパーサイヤ人と言われていますが…笑)を演じています。
ですので、塾の仕事ですが髪型やスタイルは勿論、私生活面からかなり異色だと思います。自分の中でいくつか決めたことがあり、それを約10年間実践していますが、これもキャラクター作りの一種です。結果として今が成功しているのでこれは続けていくつもりです。
若者へのメッセージ
「夢は見るものではなく叶えるもの」
叶えるためにまずは自ら行動するべきだと思います。今の時代、自ら動き、考える人が年々減っていると強く感じます。
新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、2年が経ちました。コロナ禍で僕が一番怖いと思ったことが、「オンラインが急速に普及しているこのご時世、皆がそのオンラインを当たり前だと思っている」ことです。
対面からオンラインへの切り替え自体、本来であれば日本の文化である「面と向かって話す」ことと反するため、最初は懸念された方も多かったのではないかと思います。
ただ、蓋を開ければ何十年かかると言われていたことが、わずか半年足らずで変わってきており、それが今や当たり前になっています。加えて、今の世の中の情勢が今の子たちからすると当たり前=普通になり浸透しています。
このように、日本の文化そのものが壊れたことが、僕は一番コロナ禍において怖いことだと思っています。時代は常に変化し、それに対応できる人材を求めています。迷っている場合ではありません。常に動いてください。後悔するのであったとしても、まずは行動してください。
「知・覚・動・考」が大切です。
叶えるためにまずは自ら行動するべきだと思います。今の時代、自ら動き、考える人が年々減っていると強く感じます。
新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、2年が経ちました。コロナ禍で僕が一番怖いと思ったことが、「オンラインが急速に普及しているこのご時世、皆がそのオンラインを当たり前だと思っている」ことです。
対面からオンラインへの切り替え自体、本来であれば日本の文化である「面と向かって話す」ことと反するため、最初は懸念された方も多かったのではないかと思います。
ただ、蓋を開ければ何十年かかると言われていたことが、わずか半年足らずで変わってきており、それが今や当たり前になっています。加えて、今の世の中の情勢が今の子たちからすると当たり前=普通になり浸透しています。
このように、日本の文化そのものが壊れたことが、僕は一番コロナ禍において怖いことだと思っています。時代は常に変化し、それに対応できる人材を求めています。迷っている場合ではありません。常に動いてください。後悔するのであったとしても、まずは行動してください。
「知・覚・動・考」が大切です。