一般社団法人日本アロエ科学協会 代表理事

向谷 亮

Akira Mukaitani

僕の前に道はない僕の後ろに道は出来る

向谷 亮

略歴

昭和35年生まれ、広島県出身。昭和58年、島根大学法文学部法学科を卒業。新卒で事務機器商社に入社。その後いくつかの企業を経て、念願であった日本アロエ科学協会を設立して代表理事に就任。

現在の仕事についた経緯

30歳で健康食品・化粧品製造販売の外資系企業で働き始めました。そこで主に扱っていたのがアロエベラという名のアロエでした。見た事のない大きな肉厚のアロエの、中身のゼリー状の部分だけを取り出して、製品化されているのはとても新鮮に感じました。製品の消費者の方たちやアロエベラの研究者の方たちと話しをするうちに、このアロエベラの持つ機能に心を惹かれるようになってきました。
しかし、欧米ではその機能がよく知られているにも関わらず、日本ではアロエそのものは知られていても、アロエベラの持つ機能はほとんど知られていません。企業在籍中は、どうすれば多くの人にその機能の情報を普及できるのかの知恵を絞る毎日でしたが、結論として一企業だけの努力では、幅広い普及は難しいであろうと判断して、広くアロエベラを扱っている企業や関係者の力を結集できないかと、企業を早期退職して協会を起ち上げました。

仕事へのこだわり

とにかく新しい事に取り組むのが好きでした。逆に言うと飽きっぽかったのは確かです。それが原因で30歳までに転職を繰り返していましたが、どの職場でもとにかく一生懸命には取り組んで、手抜きだけはしなかったというのは誇れるところです。そしてその転々と仕事を変えた経験があったので、自身がマネジメントの立場になったときには部下が新しい事に取り組むことや、それで失敗することに関してはあまり気にはならなくなっていました。
そのうち、社内では必要と思われているけれど、誰も手をつけたがらないような面倒くさい仕事が多く回ってくるようになり、また、部下になるような人もどこかの部署では収まりきらないような人が転属してくるようにもなってきました。そのような状況が多々あったので、「どうやったら今のこのリソースだけで課題を解決できるのだろうか」、「どのようにすれば関わっている人たちにパフォーマンスを最大限に発揮してもらえるのだろうか」と、よく考え、実行するようになりました。それが今の協会の仕事に生かされています。
つまり、企業と消費者と研究者といった、「関わってはいるけれど違う立場にある人たち」を結びつけて皆さんに利益をもたらすことこそが、協会の役割だからです。そして人と人が結びつく時に大切なことがあります。
マネジメント時代に人は理性や理論だけでは行動を起こしにくく、実は感情による動機で行動が促されることが多いことを学んでいましたので、今でも人と接する時には好い感情を抱いていただけるように工夫をしています。
その工夫の中で一番効果的なのは「私、お笑い芸人をやっているんですよ」というエピソードをお話することです。「笑い」というのはコミュニケーションの最高の潤滑油だと感じています。

若者へのメッセージ

企業を飛び出さなければ65歳まで安定した生活がおくれたはずですが、私はどうしてもチャレンジしたくて協会を設立しました。そして、同時期に58歳にして、お笑い芸人養成所「タイタンの学校」に入学しました。
元々お笑いが好きだったのと、自分自身がお笑いで有名になってアロエベラの事を世に知らしめられないかという無謀な考えもあったからです。
会社員時代には、大勢の人の前で話しをする経験も多々あり、話し方には少し自信はあったので「人に笑ってもらえるネタなんて簡単に作れる」と思っていました。しかし全くそんな事はなく、同期の若者たちの面白いネタを目の当たりにして落ち込む事も度々ありました。何とか1年間の課程を修了し、今でもフリーのピン芸人としてライブに出ています。会社員時代には学べなかった事を学んだ貴重な1年でした。
養成所同期の若者たちの中には、大卒後、大手企業への就職が内定していたのを断ってお笑いの道を選んだ人、お笑いが好きで会社を辞めて養成所に入ってきた人など、本当に様々いました。しかし皆一様にキラキラと輝いて夢を語り合っている様を見ていると、好きな事に取り組むのは大変だけど、力が湧き上がるものなんだなということを強く感じています。
若い皆さん、どうか好きなこと、やりたい事にチャレンジしてください。自分でも思ってみなかったような力が湧いて道が開けてくると思いますよ。