ToGEAR PTE.LTD. CEO

加藤順彦MSC

Kato MSC Yorihiko

人間到る処青山あり

加藤順彦MSC

略歴

1967年生まれ。大阪府出身。シンガポール/クアラルンプール在住。
1992年、有限会社日広(現GMO NIKKO株式会社)創業。
2003年、シンガポールにて高度医療機器の越境EC事業LENS MODE PTE.LTD.設立。
2008年、日広のGMOインターネットグループ傘下入りに伴い退任しシンガポールへ移住。
2010年、シンガポール永住権取得。
1997年以降、国内外80社超の日本人起業家にエンジェル投資してきた。現在の主な参画先はビットバンク、金太郎Cells Power、アルビレックス新潟等。2009年より関西学院大学商学部非常勤講師。
著書に『シンガポールと香港のことがマンガで3時間でわかる本』(明日香出版社)など。

現在の仕事についた経緯

2019年3月、取引先の医療従事者の紹介を契機にマレーシア首都クアラルンプールにて金太郎細胞点滴(若く健康なロシア人ドナーから採取した他家/骨髄由来の間葉系幹細胞を用いた点滴)を投与しました。
睡眠の質の変化、尿酸値の低下、血圧の平常化など、自らに起きた目覚ましい好転に感動し、70年続く家業の持株会社であるToGEAR PTE.LTD(シンガポール)での取り組みを決意しました。
金太郎細胞の開発製造元:株式会社金太郎Cells PowerにAlexei Gladkov社長に次ぐ第二位株主として資本参加し、日本人向けの販売業務提携に至りました。以来、上場企業経営者、政治家、プロアスリート、芸能人など多くの方々に金太郎細胞点滴のご案内を行っています。

仕事へのこだわり

1992年、医療機関/通信業を主顧客に広告会社:有限会社日広を創業し、先進的な自由診療を行うクリニック全国チェーン、国内外の富裕層向けメディカル・ツーリズム、新種医療保険などを顧客に、次々に実用化される広告手法の提供と実践に取り組んできました。
2003年に、シンガポールにて高度医療機器の越境EC会社としてLENS MODE PTE.LTDを開業し、2013年にはカナダ、バンクーバーに第二の営業物流拠点を設置しました。18年に及ぶ操業でグローバルな販売体制を整えました。現在は世界三指に挙げられるコンタクトレンズのEコマースグループに成長を遂げています。

事業家としてのこだわりは、対峙する事業の新規性、革新性です。自らが取り組むことで、顕在する需要をより便利にスマートに充たしていくソリューションとして提示できる。その確信があるときは世に存在しないような事業領域でも大胆に挑戦してきたのです。

2008年、己の不徳ゆえに業績不振となった日広(現 GMO NIKKO株式会社)を、創業来の顧客でもあったGMOインターネットグループに譲渡しました。私は心機一転、LENS MODEを置くシンガポールに移住し、2010年には永住権を取得しました。同社の高度医療機器販売を主業に、サッカー:アルビレックス新潟のサテライトクラブの運営、日系シェアオフィスCROSSCOOPの東南アジア展開、日本では仮想通貨交換所ビットバンク創業からの参画などを進めてきました。

ToGEARの提供する金太郎細胞点滴は、次代の医療=再生医療の本命ですが、まだ新しすぎて理解を得られてない部分も多いです。持前の進取の気性を活かし、しっかりと取り組みを続けていきます。

若者へのメッセージ

ToGEARにて金太郎細胞点滴の投与をご案内している私が、最初に取り組んだ商いは、19歳のとき同世代を対象とした運転免許合宿の斡旋からでした。当時は合宿で免許を取得する人は珍しく偏見もあった為、合宿制導入の教習所も少なく、販路も限られていたので、私たちは無名の学生企業でしたが、堅いニーズに下支えられ、船出ができました。

いま私が最注力する金太郎細胞点滴のご案内は、50年以上にわたりロシアなどで治療に実用されてきた実績のある再生医療であるにもかかわらず、日本、西欧、北米ではまだ一般的な医療ではない故に、点滴治療を受けられる地域、骨髄由来の間葉系幹細胞のドナーの為の環境がある国が限られています。私は再生医療が黎明期であり、点滴投与可能な国・地域が限られている今だからこそ、需要が大きく伸びている幹細胞治療の提供=商機に取り組めると考えています。

運転免許合宿、インターネット広告、コンタクトレンズの越境EC、仮想通貨交換所…
私はこの30年間、絶えず時代の先端を往く、本質的・根源的な社会需要のある新しい事業領域に取り組んできました。則ち若者にとって最も重要なことは身を置く成長環境を如何に創れるかにある、と思っています。