山川産業株式会社代表取締役社長

金本 範彦

Norihiko Kanemoto

ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために

金本 範彦

略歴

1959年生まれ。京都府出身。立命館大学理工学部化学科卒業。81年、山川産業株式会社に入社。入社後すぐに京都府京丹後市の工場(掛津事業所)配属となり、以来28年間この工場で鋳造用の硅砂および特殊砂の製造に携わる。その後2009年に滋賀県甲賀市の水口工場へ赴任、ここで世界初の人工砂によるリサイクル工場を立ち上げる。12年からは5年間、現地法人設立と運営のためにインドネシア共和国に駐在し、17年に帰国後、18年代表取締役社長に就任。現在に至る。

現在の仕事についた経緯

高校や大学時代に、何か具体的な進路または仕事としてやりたいことがあったのか、というと答えはNOです。ただ、物理や化学が好きだったので、研究に携わる仕事がしたいという思いはありました。趣味として好きだった映画に関係することに係わりたいという願望もありましたが、じゃあその仕事で食っていけるのかと言われると、そんな自信もなかったので、気がつけば周りの友達と同じように、普通に就職活動をしている自分がいました。
今思えば、現在の多くの若い人たちと同じく、食べていけて、余暇には自分の好きなことをして過ごしたいという、のんびりとしたごく普通の考えだったと思います。
そんな中、先生に紹介された山川産業の面接を受け、何の疑問も迷いもなく入社しました。

仕事へのこだわり

入社してすぐに感じたのは、弊社のお客様が結構な大企業でテレビCMでも耳にする有名な会社が多いな、ということでした。またそのお客様と接する機会があった折に思ったのは、お客様の中で困っている問題が少なからずあるということと、これを解決できれば喜んでもらえるだろうな、ということでした。私が幸運だったのは、そうゆう機会を早くから与えていただいたこと、そしてそういった問題を解決する仕事に専念できたことです。その後も製造とは直接関係のないテーマもありましたが、「何故私がやらねばならないのか」という疑問も持たずに、与えられた課題に精一杯チャレンジしてきたと思います。長嶋茂雄さんのように「来た球を打つ」という感じですね。
それと色々なことに挑戦するにしても、一人でできることは僅かです。任務遂行のために、周りの多くの人に協力を得る必要があるので、頼めば協力してもらえる人間でいること、そして自分も頼まれれば協力をするということを心掛けました。そして協力してもらったことに対して感謝を忘れないようにしてきました。

若者へのメッセージ

私は社員に「夢を持て!」と言っています。夢や目標を掲げて頑張るということは素晴らしいことです。しかし敢えて若い皆さんに言いたいことは、自分の好きなことを仕事にして生計を立てるのは、ものすごく競争が厳しいという現実です。どんな分野でも高収入を得られるのは、トップにいる数%の人たちだけだと思います。一度しかない人生で、その道を選ぶのもいいでしょう。もちろん自分で起業するという道もあります。
でも人生は長いので、いきなりそれらの道に行かず、先ずは会社に入ってみて、収入を得る手段を確保してから、その中で色々考えて、夢を探し、夢を温め、チャンスを待てばいいのではないでしょうか。
日本の会社の99%以上は中小企業ですし、大企業も最初は中小企業からスタートしました。今の日本で中小企業に就職するということは、ごく普通のことで、その中小企業の中で道を究めてオンリーワンになるという手段もあります。
いきなり特別な存在を目指さなくても、普通からスタートしたらいいのです。世の中の大半の人が普通であり、この世の中は普通の人が支えています。普通にスタートし、その中であなたが夢に挑戦する機会をじっくりと探ってください。
今、夢や目標が無くても心配する必要はありません。それが普通ですから。
先ずは、置かれた場所で咲くことから始めましょう。