株式会社いろは代表取締役
三浦剛士
Tsuyoshi Miura略歴
埼玉県立大宮武蔵野高等学校卒業後、アパレル販売業にてキャリアをスタートし、不動産業に転身。一時は海外留学を経験。帰国後、不動産賃貸大手企業を経て、2014年には前社代表に就任。その後、安全かつ合法な簡易宿所運営のコンサルタント「民泊先生」として従事し、2016年に株式会社いろはを設立。不動産を軸に、簡易宿所・カフェ・塗装など多岐にわたる事業を展開している。著作に『不動産投資は家賃6万円時代』など
現在の仕事についた経緯
アパレル販売業から不動産業に転身した理由は、お金でした。アパレル販売業は、販売実績を伸ばすために、シーズン毎の新作を購入し、自身がマネキンになることを求められます。洋服を報酬と捉える必要がある職だと感じ、より実績が収入に直接反映されることを求め、不動産業に転身しました。
不動産業では、思い描いたとおりの実績を残すことができ、資格を取得したり、貯金も充実したり、求めていた環境に身を置くことができました。しかし、どこか業界に対して違和感も感じていました。
30歳を目前にした頃、お金と時間を使い、やりたいことリスト100を完遂しようと海外留学を決意しました。留学先のオーストラリアでも不動産業に挑戦しましたが、希望に沿う結果にはならず。3年を以て帰国し、日本でまた不動産業に復帰しました。
当時担当していた場所は、夢や希望を持って上京してくる若者が多かったのですが、職もお金もないため住居を提供できず、断るばかりの日々でした。再び、業界に対して疑問を抱くことに。これに対し、自身が経験したオーストラリアでのシェアハウス生活を日本に取り入れることが、住居を借りる敷居を下げ、課題解決になり得ると考えました。この時、私が不動産業に対して感じていた違和感の正体がわかりました。自分がやりたいことはお金稼ぎではなく、「住まいを通して誰かの挑戦を後押しする事業」だと気づいたのです。
その後、約半年間の無職期間や前社でのシェアハウス事業及び、代表への就任などを経験。さらに自身の想いや考え方を形にしたいと思い、2016年に株式会社いろはを設立しました。今では不動産業だけではなく、簡易宿所やカフェ、塗装など事業を拡げていますが、誰かの挑戦を後押ししたいという原点は変わっていません。「不動に構え、動に寄り添う所在であれ。」というVISIONを掲げ、「ひとの初歩を応援するプラットフォームになる。」というMISSIONのもと経営を続けています。
不動産業では、思い描いたとおりの実績を残すことができ、資格を取得したり、貯金も充実したり、求めていた環境に身を置くことができました。しかし、どこか業界に対して違和感も感じていました。
30歳を目前にした頃、お金と時間を使い、やりたいことリスト100を完遂しようと海外留学を決意しました。留学先のオーストラリアでも不動産業に挑戦しましたが、希望に沿う結果にはならず。3年を以て帰国し、日本でまた不動産業に復帰しました。
当時担当していた場所は、夢や希望を持って上京してくる若者が多かったのですが、職もお金もないため住居を提供できず、断るばかりの日々でした。再び、業界に対して疑問を抱くことに。これに対し、自身が経験したオーストラリアでのシェアハウス生活を日本に取り入れることが、住居を借りる敷居を下げ、課題解決になり得ると考えました。この時、私が不動産業に対して感じていた違和感の正体がわかりました。自分がやりたいことはお金稼ぎではなく、「住まいを通して誰かの挑戦を後押しする事業」だと気づいたのです。
その後、約半年間の無職期間や前社でのシェアハウス事業及び、代表への就任などを経験。さらに自身の想いや考え方を形にしたいと思い、2016年に株式会社いろはを設立しました。今では不動産業だけではなく、簡易宿所やカフェ、塗装など事業を拡げていますが、誰かの挑戦を後押ししたいという原点は変わっていません。「不動に構え、動に寄り添う所在であれ。」というVISIONを掲げ、「ひとの初歩を応援するプラットフォームになる。」というMISSIONのもと経営を続けています。
仕事へのこだわり
特に20代前半は、高卒(当時、多くの人が進学するようになった頃)ということに学歴コンプレックスを少なからず抱いていたのですが、その時から大切にしていることが2つあります。
1.志は高く。(先に社会に出た分、同年代で1位になる/目指すは高役職/社長を目指す、など)
2.志は言葉にする。(上記のようなことを会う人会う人に必ず伝えていました。)
当時は学歴コンプレックスに気づいていませんでしたが、この2つはコンプレックスをバネにして自分なりに励んでいたことを示していると思います。このこだわりが自身の行動を変えてくれました。
新人時代はお金がなかったのですが、それを言い訳にせず図書館に通って本を読み漁っていました。時には嫌な場面でも、上司にずっとひっつき、ビジネスマナーや仕事への取り組み方を吸収していました。ミスに対しても逃げることなく、率先してチャレンジするスタンスを大事にしていました。また、お客様に対しても社内の人に対しても、自信がなくとも言い切るようにしたり、なるべく成長している自身の姿を具体的に思い浮かべたりするようにもしていました。
これらの行動は、高い志を言葉にして自身のエネルギーに変えてきたからこそできたことだと思いますし、代表取締役になった今でも変わらないこだわりです。
1.志は高く。(先に社会に出た分、同年代で1位になる/目指すは高役職/社長を目指す、など)
2.志は言葉にする。(上記のようなことを会う人会う人に必ず伝えていました。)
当時は学歴コンプレックスに気づいていませんでしたが、この2つはコンプレックスをバネにして自分なりに励んでいたことを示していると思います。このこだわりが自身の行動を変えてくれました。
新人時代はお金がなかったのですが、それを言い訳にせず図書館に通って本を読み漁っていました。時には嫌な場面でも、上司にずっとひっつき、ビジネスマナーや仕事への取り組み方を吸収していました。ミスに対しても逃げることなく、率先してチャレンジするスタンスを大事にしていました。また、お客様に対しても社内の人に対しても、自信がなくとも言い切るようにしたり、なるべく成長している自身の姿を具体的に思い浮かべたりするようにもしていました。
これらの行動は、高い志を言葉にして自身のエネルギーに変えてきたからこそできたことだと思いますし、代表取締役になった今でも変わらないこだわりです。
若者へのメッセージ
「やりたいことは公言する。」「やりたいことを書き出して、期限を設ける。」「当たり前のことを馬鹿にしない。」など、マイルールを設けて取り組むことをオススメします。
と、格好つけたことを述べましたが、私が若い頃に徹底できたことは少なかったように思います。
なので、とにかく自身の限界を決めつけずに挑戦してください!
スタートに遅いということはないとはいえ有限な時間の中で、自身に対して悲観的にならず、できない理由ではなく、できるようにするための方法を探してほしいと思います。時には、人から進められたことに乗っかってみるフットワークの軽さも武器になるのではないでしょうか。留学や旅行など、世界に視野を広げることでヒントが見つかるかもしれません。
しかし現実を見ると、時間がないから、お金がないからと、挑戦を諦めざる得ない人がいることは、私も知っています。当時の私もその1人でした。時間は掛かるかもしれませんが、志を持っていれば実現できます。誰よりも行動できる人を目指してみてください。
と、格好つけたことを述べましたが、私が若い頃に徹底できたことは少なかったように思います。
なので、とにかく自身の限界を決めつけずに挑戦してください!
スタートに遅いということはないとはいえ有限な時間の中で、自身に対して悲観的にならず、できない理由ではなく、できるようにするための方法を探してほしいと思います。時には、人から進められたことに乗っかってみるフットワークの軽さも武器になるのではないでしょうか。留学や旅行など、世界に視野を広げることでヒントが見つかるかもしれません。
しかし現実を見ると、時間がないから、お金がないからと、挑戦を諦めざる得ない人がいることは、私も知っています。当時の私もその1人でした。時間は掛かるかもしれませんが、志を持っていれば実現できます。誰よりも行動できる人を目指してみてください。