株式会社Super Energie Connection 代表取締役

杉江 勝

Masaru Sugie

地域に必要とされる会社創り

杉江 勝

現在の仕事についた経緯

父が創業した杉江電機工業株式会社に入社したのは30年ほど前のことになります。当時は事業を引き継ぐというような大きな意識ありませんでした。ただ、小さな頃から両親共に商売をしていて、母親が作った食事を従業員と一緒に食べるというような育ち方をしましたから、事業継承することへの違和感も同じくありませんでした。生活をすることも仕事をすることも、私にとっては等しくあるものだったんですね。もともとは別の会社で車の整備士をしていたので、父の会社に入社した後もしばらくは現場で働いていました。ただ会社の状況を見ていると、自分が描く会社像とのギャップが見えて、そろそろ引き継がないといけないかなとも感じ始めました。

しかし当の父は事業継承なんてこれっぽっちも考えていませんでしたし、社長から下りる気もさらさらない。当時は新しく事業部を増やしていた頃で、自動車電装の事業部は私、携帯電話の事業部は兄がそれぞれ担当していました。それならばいっそ各事業部を株式会社にして、ホールディング形式にしたらどうかと提案したんですね。苦肉の策でもありましたけど、そうすれば皆が代表取締役になってそれぞれの会社が経営できますし、父が社長を下りる必要もありませんから。だから厳密に言うと事業継承ではなく、組織再編で今の形になったという流れです。

仕事へのこだわりと目標

父の会社に入社した頃は23歳で、まだまだわからないことも多くありました。だから相手が年下であっても「教えてください」と聞かなければいけなかった。ただ、心の中では「1~2年後を見てろ」という気持ちでしたよね。人から指導されるのが嫌いというわけではないんですが「誰よりも仕事ができるようになりたい」という気持ちは、やはりずっとありました。私自身は結構いいかげんな人間なんですが、やることはやろう、やり遂げようという気持ちは強いんですよ。「このへんでいいんじゃない?」とそこそこで済ませる人もいますが、私は「どうせならやりきろうよ」というタイプですね。

経営者として大切にしているのは、近江商人の心得「三方よし」です。これは自分だけじゃなく、人や環境、地域にも寄り添おうという考え方です。裏を返せば、そうじゃない事業は淘汰されてしまうと思います。人間どうしても目先のことを追いがちですが、経営者としてはそれじゃいけない。長期ビジョンの中で人や地域に寄り添うことが大切です。

東日本大震災で被災された八木澤商店の河野社長とお話をしたことがあります。それで痛感したのが、働くことで人は生きていられるということです。仕事で必要とされて、承認欲求を満たされて、生活に困らないお金をもらっていたら、人って要らぬことを考えないんですよ。ニュースを見ていても、何か事件を起こす人というのは働ける場所が無かったんじゃないかと、そう思わずにはいられません。働いていけるということが、生きていけるということなんです。だから我々の目標としては、よりよい働き場を提供していくことですね。強い基盤を作ったり、事業展開をしたり「働きたいな」と思ってもらえるような環境にしていくこと。働く場所があるって有難いことですから、経営者として雇用を生むというのは大きな使命の一つなんじゃないかと思います。

若者へのメッセージ

一言で言うなら「やりがいは自分で見つけるもの」ということですね。
合同企業説明会へ参加すると、よく学生さんから「御社の仕事のやりがいってなんですか?」といったことを聞かれます。しかし、会社というのは働ける環境を提供するものです。もちろんその人がうまくやれるよう伴走はしますが「これがうちのやりがいです。どうですか?」みたいなことは言いませんよ。だから自分のできることを明確にして、その上でこうなりたいなと思うビジョンを持つ。やりがいって、その途上で出来上がっていくものだと思います。それを踏まえて社会に出てきてほしいですね。
それから、若い人は特にやりたいことはどんどんとやった方がいいです。まだまだ体力もあるんですから、周りが心配するくらいとことんやってみたら良いと思います。